Terra Australis Incognita (テラ・アウストラリス・インコグニタ)
投稿日:2015年3月14日
12年生は、月曜日から、前半期の試験が2週間あります。がんばってください。
11年生は、通常授業です。
10年生は、来週の土曜日から次の火曜日まで、キャンベラへの研修旅行があります。
それに因んで、ここ数週間は、CAPDで日豪関係の歴史、戦後の友好関係に尽力した人々、キャプテン・クックによるオーストラリア『発見』、先住民の運命の変化、ヨーロッパからの囚人の輸送、ゴールドラッシュなどについて、勉強してきています。
1月26日のAUSTRALIA DAYについてのブログで、17〜18世紀のヨーロッパで描かれた世界地図をご紹介しました。今日は、Australiaという国名の由来をご紹介します。
当時の地図を見ると、今のオーストラリアはとても大きな土地で、南極を囲んで地球儀の下部を全部包むような形に描かれています。地図によっては、輪郭がはっきりしていないものもあります。
実際には、4万年も前からたくさんの人々が暮らしていた土地なのですが、ヨーロッパの人々にそのことが知られてないから、想像的な存在として、Terra Australis incognitaという名前が付けられました。
ちなみに、terra(テラ)というのはラテン語で‘土地’、Australis(アウストラリス)は‘南にある’、Incognita(インコグニタ)は‘認識できない’‘知られていない’という意味です。オーストラリアという国名は、ここから来ています。なんとも勝手なものです。
キャプテン・クック(James Cook)が1770年にオーストラリアの南東から東海岸沿いに探検し、初めてヨーロッパの地図にオーストラリアの東海岸線が実際のものとして記録されることになりました。その後、1801年にキャプテン・フリンダース(Matthew Flinders)が海岸線を一周し、オーストラリアの形が正確に地図に載るようになりました。
こうした経緯や測量のための道具や地図は、キャンベラの国立図書館に展示してあります。
ヨーロッパ人に知られる以前から住んでいた先住民の人々は総称してアボリジナルとかアボリジニーと呼ばれていますが、実際には、200以上に及ぶ言語があり、300以上の民族グループがあります。そういう人々の存在を完全に無視して、大英帝国は、この地にイギリスの旗を立て、イギリスの領土としました。
アボリジニーの人々の歴史は、本当に悲惨なものです。また、いつか、ブログでも詳しく触れる折りがありましょう。
当時の大英帝国は、産業革命が起こっていたものの、貧しい人々が多く、犯罪が絶えなかったようです。囚人を入れる牢獄が足らず、アメリカに送っていたのですが、独立してしまったために、送ることができず、たまたま「発見」したオーストラリアの地に囚人を送りことにしました。
囚人の生活も悲惨でした。これも、また、改めてご紹介します。