梯子を登る
投稿日:2014年1月24日
人生は、よく梯子を登ることに喩えられます。
梯子の持つ意味:
下に支えがある。
一段一段、高いところに登る:ひとつひとつ知識や技術や能力を伸ばしていく。
登る先は、自分の人生の目標。
高みに上る;高いところからの展望は、低いところからの展望とは全く違うもの、そして、もっと広く大きなものが見える。
落ちることがある;注意をしないと。
でも、落ちても下には支えがある。だから、絶対一人ではない。
ところで、梯子を登ったその先には何があるのでしょう?
目標はあっても、どんな梯子を自分が登っているのかわかっていなければ、その時間も苦労も、何のためだったのかもよくわからないまま、次にどの梯子を登るかもわからず、もう、登りたいとも思わないかもしれません。登る目的そのものがよく見えていないのであれば。
でも、何をめざしてそこに登っているかがわかれば、そこに到達した時には、また、別の展望と志と夢が開けてきます。
さて、皆さんは、どんな梯子を登っているのでしょう? 何のために?
世の中には、ひたすら梯子を上り詰めようとしている人たちがたくさんいます。いや、登ることをけしかけられている人たちが。
学業でも、仕事でも。そして、あるところまで上り詰めたところで、はて、と躓く人たちがたくさんいます。これで良かったのだろうか、と。
けしかけられても、その梯子を登る意味がよくわからないと、拒否したり、遠ざかったり、背中を向けたりします。それに対抗するだけの力を持たないと思ってしまうから。そして、そのほか他に自分を導いていく方法を見出せないことがあります。それは、社会が梯子を登るひとつの方法しか教えていないし、その方法以外を歓迎していないからです。
ここでも、「違い」を成し遂げるためには、勇気が要ります。自分を信じる勇気が。