Australia Day

投稿日:2012年1月26日

 1月26日は、「Australia Day」と呼ばれる祝日です。

 私が住んでいる地域では、零時ちょうどに、ドカーン、ドカーン、ボン、ボン、ドカーンという花火で始まりました。

 朝早く海岸ではソーセージのBBQが振舞われたり、様々なスポーツ行事などが計画されます。

 首都キャンベラでは、いろいろな分野で活躍した人々400名ほどを表彰する式典がありました。その中でも特に活躍した人にAustralian of the Year(今年のオーストラリア人)の称号が贈られ、今年は、俳優のGeoffrey Rush(ジェフリー・ラッシュ)が選ばれました。今まで選ばれなかったのが不思議なくらいです。

 オーストラリアには、この国の市民権を得る人が毎年何万人といますが、今年この日にこの国の国民になることを選んだ人々は、なんと144カ国の違う国籍の人から成るということです。他民族多文化の国といわれる所以です。

 毎年、シドニーでは、この日にすばらしい花火が上がります。私は、テレビで眺めただけですが、海の水と暗い空と周りを囲む建物のネオンに向けて華やかな色のレーザー光線がまるでダンスをしているように放たれ、その間に花火が散りばめられるかのように広がる見事な演出のサウンド&ライト・ショーでした。

 ホストファミリーと一緒に出かけている生徒もいることでしょう。それぞれのホストファミリーで最初の休日を一緒に過ごし、この日にまつわるいろいろな体験をしていることでしょう。明日学校でどんな話が聞かれるのか楽しみです。シニアの生徒たちは、自分たちで出ているかもしれませんね。

 「Australia Day」の捉え方は、立場によって様々に違います。

 「オーストラリアというLucky Countryの住民であることを祝う日」

 「オーストラリアの建国を祝う日」

 「オーストラリアのmulticulturalの豊かさを祝う日」

 「サバイバルの日」

 「侵略が行われたことを呪う日」 などなど。

 この日がオーストラリアの歴史を物語る日だということは確かです。わずか200年余ですが、その中にたくさんのできごとが凝縮されています。

 18世紀の終わりの大英帝国は、産業革命が進む中で、貧富の差が大きく、日々の食べる物さえ手に入らない人々がたくさんいました。パン数切れを盗んだだけで、とらまる人がたくさんいて、イギリスの牢獄は囚人でいっぱいになっていました。

 15世紀の始めにアメリカ大陸の存在を知ったたくさんのイギリス人が、アメリカに移住しました。その中には、イギリスの牢獄にいる人たちの数を減らすために、たくさんの囚人も一緒に送られました。ところが、アメリカは、1776年に大英帝国から独立したために、もう、そこに囚人を送ることができなくなりました。

 ちょうどその頃にCaptain Cookが太平洋の島々をめぐり、1770年にニュージーランドやオーストラリアの存在が大英帝国に知られるようになりました。そして、1787年、大英帝国は、この巨大な島に囚人を送ることに決め、11隻の船の艦隊を組んで、約1500人の人々をNSW州に連れてきました。その船には、役人と囚人が乗っていました。

 1778年の2月26日、Sydney Coveという今のシドニー湾に大英帝国の旗が立てられました。そして、後日、オーストラリア建国の日として選定されたのがこの日です。

 殺戮にあったり、土地を奪われたり、その後、200年の間にいろいろな差別やひどい扱いを受けてきた先住民アボリジナルの人々にとっては、この日は、侵略された日であり、毎年、これまでサバイバルしてきたことを特別な思いで過ごす日となります。

 2009年の3月に200年余経ってから初めて、アボリジナルの人々に、時のオーストラリア政府がそれまでのひどい仕打ちを謝罪しました。そして、一緒にオーストラリアを良い国にしましょう、と誓っています。

 そうした歴史の上で、現在のAustralia Dayは、世界中から集まっている他民族多文化が上手に共生していることを祝い、この国の国民であることを喜び合う意味合いが強くなっているように感じられます。

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