3万人の行進

投稿日:2012年10月1日

台風、大きな被害がなく通り過ぎますよう。

こちらは、ケアンズもシドニーも良いお天気に恵まれています。幸いなことに。

メルボルンで起こった事件について今日は、お話します。

Jill Meagher(ジル・マー)という若い女性がメルボルンで行方不明になりました。彼女は、ABCという放送局に勤務し、その日、職員partyがありました。会場から家までは700m。夜中だったけれど、大丈夫ということで一人で家路に向かい、そのまま姿を消してしまいました。

そして、1週間後に死体で発見されました。結婚してアイルランドから移民してきたというこの若い夫婦の未来は、その700mの間に、わずか10分ほどの距離の間に、完全に崩壊されてしまいました。一人の人間のその瞬間の魔の手によって。その男は逮捕されましたが、この事件は、オーストラリア社会に大きな衝撃を与えました。(裏返せば、オーストラリアは普段それだけ治安がよく、こんな事件が起こることが非常に珍しいということでもあります。)

思いがけない突然の死によってもたらされる不幸は、世界中にいったいどれほどあることでしょう。たまたま同じ時に、アメリカのミシシッピーでは発砲事件があり、4名が死亡、数名のけが人が出たというニュースがありました。日本でも、頭の中の何かが狂い、人々を死においやるとんでもない凶暴な行動に出る事件が稀なものではなくなってきています。

なぜ、こんな無意味なことが起こるのか。なぜ、平和な市民が、ある日突然、誰かの刃にかかって命を落とすのか。メルボルンでのこの事件に対して人々が抱いた共感は、オーストラリア全土に広まりました。ABC放送局には、全国からお悔やみのメールが寄せられ、事件が起こった街頭にはたくさんの花が積まれています。

ジルさんの死を悼み、そして、町に平和と安全を戻そうという行進が計画されました。なんと、3万人を越える人々が集まったということ。テレビカメラのインタビューには、「誰にも起こりうることだった。絶対にこれを繰り返してはいけない」「女性が一人で安心して歩ける町を作ろう」と口々に同じ言葉が帰ってきます。

一人の女性の死によってもたらされた衝撃と悲しみで、3万人という人が、平和と安全を求めて行進する。

その事実に大きな感銘を受けます。銃撃事件が相次ぐアメリカでは、以前は、銃の取締りを強化する運動が何度も起こりましたが、そのたびにそのキャンペーンは潰され、今は、誰もが銃を持てる・持つ社会に対して誰も何も言わなくなってしまい、社会全体もそれを受け入れている状態にあるとはとても対照的です。

社会や文化の違いは、たいへん興味深いものです。

もうひとつ、オーストラリアの人々の価値観や気持ちの表現に関して興味深いことがここ数日起こっています。オーストラリアのギラード首相が数週間前に父君を亡くされました。その際には、普段の政党間の政治的な議論や意見の隔たりを超えて、国会議員たちも、メディアも、みんなが弔意を示しました。先週、首相が、ニューヨークの国連安全保障理事会において体調を崩した時も、みんなお大事にというメッセージを出していました。そこに一昨日、リベラル派が集まる大学の会合で過激で知られるコメンテーターが「(嘘つきの娘を持って)あの父親は恥の中で死んだ」とスピーチの中で言ったということがわかり、名のある議員たちからは、コメンテーターに向けて一斉攻撃が行われました。

 陳謝するという結果になったのですが、メディア全般が、何をどう扱うかというひとつの大きな教訓を得た機会ともなったようです。国として、文化の「品格」を保つためには、市民一人一人の意識の持ちようが極めて大事であり、そこには、メディアの影響力が深く介在しています。政治家たちもメディアも、この国の「品格」を保つことに本気で取り組んでいます。妥協はしない、この価値は絶対に護るという姿勢を明確に持ち、それをまっすぐに素直に表現します。

 この国がなぜ他民族多文化の「共生」を上手に包容できるのかがこの数日でより鮮明に見えたように思います。

 

 

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