英霊に導かれて

投稿日:2012年11月26日

不思議な空間を感じる体験がありました。

理屈では説明がつかず、たまたま起きることのすべての成り行きがあるところに結びついていく、とでも言えばいいのでしょうか、なにかに導かれているとしか思えないようなできごとでした。

シドニーから西に300kmほど入ったところにカウラ(Cowra) という町があります。そこで歴史的に大きな意味を持つできごとがあったことを知ったのは、この国に住むようになってから大分経ってからのことです。一旦知るようになってからは大変興味を引かれ、もっと知りたいと思ったり、その後の日豪関係に自分にも微力ながらも何かできる役割があるのではないかと思う過程の中でいろいろな方々とお目にかかる機会に恵まれました。

土屋康夫氏との出会いもそのひとつです。カウラで戦争捕虜になられ、脱出を生き延びた方のお話しをぜひ聞かせていただきたいと思っていた時に、「カウラの風」という本を手にしました。それを書かれたのが土屋氏で、当時、報道部部長として岐阜新聞社に勤務されておられました。厚かましくも連絡させていただき、そして、実現したのが、山田様という元PoW(戦争捕虜)の方のお話を直接に聞かせていただくということでした。

山陰地方からはるばる電車で来てくださることになり、岡山駅で待ち合わせをしました。遠くから杖をつきながら、でも、お元気そうに歩いてみえる山田様のお姿を拝見した際には、想像でしか知らないカウラのできごとやそれにまつわるいろいろなことがまるで自分が実際に体験したかのように頭を過ぎり、思わず涙がほとばしり出るほどに、何か、あたかもなつかしい方と再会するような気持ちでした。

リタイアされた現在は、土屋様は、ドキュメンタリーの取材と執筆に取り組まれておられ、今回は、姉妹都市Dubbo(ダボ)を訪問される美濃加茂市の姉妹都市委員会の方々に同行され、すぐ近くにあるカウラをご案内されたようです。

 シドニーの短い滞在時間中に、シドニー湾を攻撃し沈没させられた潜水艦に乗船していた兵士の冥福を祈るために立てられている碑をお参りしながら、2006年に取材したマーガレットさんにぜひとも再会したいという希望を持っておられました。マーガレットさんは、その潜水艦がシドニー湾に潜入したのを目撃され、その夜、魚雷が発射されたことを体験された方です。私は、いただいた資料から一度はマーガレットさんなる方に連絡を取ってみたのですが、お返事がなく、それがどういう意味を持つかがよくわからないままそれ以上追求することはなく、土屋様がいらっしゃるのをお待ちすることにしてしまっていました。

その碑は、Taylors Bayというところにあるのですが、場所を特定することができず、あちらにこちらにとその近辺を30分以上車で回り、動向された別の2名の方々には、シドニー湾の絶景を車から楽しんでいただくことになりました。そのうちに、段々と土屋様の見覚えのある土地にたどり着き、車を降りてその碑を探しに小道を歩き始めました。

そこで、土屋様とは離れてしまったのですが、そのわずかな5分か10分ほどの間に、土屋様が、ちょうど外から車で戻っていらしたマーガレットさんに出会われたというのです。

71年前、17歳だったマーガレットさんは、このバルコニーから日本の潜水艦がシドニー湾に潜行し水面に浮いてきたところを目撃されました。

なんという偶然でしょう。しかも、病院にいらっしゃるご主人様を訪ねて、いつもであれば、帰宅は7時か8時。たまたま、その日は、シドニー湾を巨大なクルーズ船 ‘The Voyager of the Seas” が4時に航行するというので、それを見るために帰宅されたのだというお話。

マーガレットさんのお家のバルコニーから見るクルーズ船。

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな偶然がいくつか重なって、土屋様はマーガレットさんとの再会を果たすことができました。

そして、私たちは、マーガレットさんのバルコニーに招待されたのです。そこでどんなお話があったのかは、また、明日に。

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