Australia Day

投稿日:2013年1月26日

今日は、オーストラリア・デイと呼ばれる旗日です。

朝から各所のビーチや公園で、BBQで焼いたソーセージをパンにはさんだ、この日特製のブレックファーストが多くの場所で無料で提供されます。子どもたちは、オーストラリアの旗のパッチを顔に貼ったり、多いに楽しい時間を過ごします。

昨日、ホストファミリーのお家でシドニー最初の夜を迎えた生徒たちのオーストラリア・デイの目覚めが爽やかで新しいときめきと希望に満ちたものであったことを祈っています。彼らの多くも、ビーチに行ったり、花火に出かけたりすることでしょう。

ところで、Australia Dayとは、何の日でしょう?

「オーストラリアというLucky Countryの住民であることを祝う日」

「オーストラリアの建国を祝う日」

「オーストラリアのmulticulturalの豊かさを祝う日」

「サバイバルの日」

「侵略が行われたことを呪う日」

と、日本の建国記念日のように、見る人の立場によって、この日の意味はさまざまに違います。この日は、オーストラリアの歴史を物語る日です。わずか200年余ですが、その中にたくさんのできごとが凝縮されています。

18世紀の終わりの大英帝国は、産業革命が進む中で、貧富の差が大きく、日々の食べる物さえ手に入らない人々がたくさんいました。パン数切れを盗んだだけで、とらまる人がたくさんいて、イギリスの牢獄は囚人でいっぱいになっていました。牢獄にいる人たちの数を減らすために、たくさんの囚人をアメリカに送っていたのですが、アメリカが1776年に大英帝国から独立したために、もう、そこに囚人を送ることができなくなりました。

ちょうどその頃にCaptain Cookが太平洋の島々をめぐり、1770年にニュージーランドやオーストラリアの存在が大英帝国に知られるようになりました。そして、1787年、大英帝国は、この島に囚人を送ることに決め、11隻の船の艦隊を組んで、約1500人の人々をNSW州に連れてきました。その船には、役人と囚人が乗っていました。

因みに、多くのオーストラリア人が祖先の名前がこの船にあることをとても誇りに感じています。

1778年の2月26日、Sydney Coveという今のシドニー湾に大英帝国の旗が立てられました。後に、この日が、オーストラリア建国の日として選定されることとなりました。

一方、殺戮にあったり、土地を奪われたり、その後、200余年の間にいろいろな差別やひどい扱いを受けてきた先住民のアボリジニーの人々にとっては、この日は、侵略された日であれ、毎年、これまでサバイバルしてきたことを特別な感慨で思う日となります。

2009年の3月にオーストラリア政府は、200年余経ってから初めて、先住民の人たちに、それまでのひどい仕打ちを謝罪しました。そして、一緒にオーストラリアを良い国にしましょう、と誓いました。でも、まだまだ多くのアボリジナルの人々を健康・学問・生活様式などの面において、その後に海外から移住してきた人々と同じ水準まで引き上げることができないままになっています。

一般的には、このラッキーな国の国民であること、住民であることを祝う日がAustralia Dayとして受け止められています。国や人々に大きな貢献をしている人々を称える各種賞や国民賞もこの時に授与されます。

コメントをどうぞ

お名前(必須)

メールアドレス(必須)

URL

ブログトップへ戻る