言葉の発し方
投稿日:2013年4月8日
「コミュニケーションを図れ」と言いますが、上手に意思疎通させるほど難しいことはありません。
その言葉を発したばかりに、その人との絆を失ってしまうことだってあります。言葉の使い方によって、自分の意図とは正反対に相手を傷つけたり神経を逆撫でしたり、関係を取り戻すことを意識すればするほどますます遠ざける結果となってしまうということもあります。
「コミュニケーション」という言葉は、いろいろな側面を総合的に含む言葉なので、日本語の意思疎通、情報の伝達、発信といったそれぞれの事象に合わせた具体性を帯びる日本語よりも使い方がらくです。
行動のすべてがコミュニケーションなのだとする考え方があります。相手や周囲を意識して意図的に行動する・話すのであれば、それは、明らかに相手になにかを伝達することを狙っています。仮に意識していなくても、一人の人間の行動・言動は、受け手になんらかの影響を及ぼします。
口角泡を飛ばして議論する人もいれば、沈黙で抵抗の意思表示をする人もいます。確かに、どちらも相手を意識してのことです。相手に動いてもらうために指示的な言葉を出す人もいれば、相手が好きなようにすればいいと情報だけを与える人もいます。
「テレビを消して勉強しなさい」と言う場合には、言っている親の意思は明白です。受け手の子供がそれに従うとは限らないものの、指示の内容に疑問の余地はありません。「そろそろ勉強する時間じゃないの・・」と子どもの判断を促す場合には、親は勉強すべき時間であると考えているから言うのでしょうが、解釈の幅は、子どもによって大きく違うでしょう。
結果が、「言うことをきいて良い子だ」という評価に至るのか、「何度言っても人の言うことなんて聞かないんだから・・・」になるのかは、どちらの場合も、受け止め手の子どもの気性や性格によって違ってきます。指示に素直に従う子どももいれば、そういう指示が出るたびに、頑強な抵抗を試みる子どももいるでしょう。提案するだけで十分な子どももいれば、直接的な命令を必要とする子どももいるでしょう。
どの相手にはどのような言い方が効果的なのかを知るには、試行錯誤しながら意図的に試してみれば徐々にわかってきます。でも、そういう意識を持ち続けること自体が大きな努力を要することです。
相手に自分の思い通りに動いてもらうためには何をすればよいのでしょうか。いや、自分の思い通りに動いてもらおうなんて期待するほうが根本的におかしいのです。なぜなら、コミュニケーションにはいつも相手がいるわけだから、お互いに他を動かすことだけを考えていたらうまく行くはずがありません。
ダンスは、組む相手が上手ならば、とっても楽しいものです。ステップが合わないと、楽しさはイライラに代わります。ダンスはリードする人、される人があって、リードする人が相手をいかに華やかに見せるか、いかに上手に操るかを考えて自分の動きを決めていきます。一緒にダンスのリズムに乗ることで、二人の動きがひとつのまとまったものとなります、本人たちも楽しいし、見ている人たちも感動します。
コミュニケーションもそんなものではないでしょうか。相手と自分がどうしたらベストの形で一緒にできるかを考え、相手の意図を確認しながら相手が得意とすること、たくさんのその人独自のアイディアをできるだけ取り入れて活かし、同時に、自分の意図するところや得意な部分、独特のアイディアをそこに絡ませていくことができれば、お互いの関係はとてもスムーズなものとなるでしょうし、その良い関係は、周りにいる人々にとても肯定的な影響を及ぼします。
いやな気分が伝染するように、気持ちの良い空気も、楽しさも伝染します。
上記のテレビの例は、本当の目的は、(子供が学習を通して)知識を得るというところにあり、そのためにはそれだけの時間を学習に従事することが必要なので、それに従事させたいという親の判断が言葉に出ています。でも、そこに至る過程には、学校で良い成績をとって欲しい、そのためには勉強が必要、でも、テレビも見せてやりたいというような気持ちがあり、後者の場合には、さらに、あんまり強いことを言ったら逆効果かもしれない、自主性に任せよう、子供が望まないことを言ったら嫌がられるかもしれない、など様々な迷いが入ってきています。
子供の答えによって、親の気持ちも左右されるでしょう。そして、肝心の目的はどこかにすっ飛んでしまうようなことになりかねません。
どんなタイプの人たちがどのような言葉を使ってどのようにコミュニケーションを図るのか・・・ 今月20日と21日、岡山県立図書館でのワークショップでそんなことも発見してみませんか?
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