なぜ学ぶのか
投稿日:2013年4月11日
「なぜ学ぶのか?」
この質問をぶつけると、いろいろな答えが戻ってきます。
大学生からは、「良い会社に入る」とか、「社会の中で秀でるため」「将来いい生活をするため」といったことに加えて、「社会に貢献できるようになるため」「純粋に学ぶことがおもしろいから」「夢をかなえるため」「人間が豊かになるから」といったことが戻ってきます。
すでに働いている方々からは、「専門性を深めるため」「プロとして最前線で仕事ができるため」といった答えが聞かれます。
一般教養を広げるというほかに、絞込みができる勉学の目的がそこにあります。目的が絞れると、勉学が明確な目標を持ちます。
その絞込みができないのが高校生です。決められた課程を修了することが、最終的には、自分の未来の目的に到達するものであっても、その過程において、進学、進学先の選択、受験、といったことが控えるので、本来の学習目的が何であるかが見えなくなってしまうことが多々あります。そのために、目標設定ということを難しくしてしまうところがあります。
企業ならば、今週の達成目標とか月間達成目標といったものが必ずありますでしょう。それは、それぞれの業務の指針であり、達成の目安であり、ひとつの目的に向かって全員の意識を整えるという目的があります。
学校のひとつひとつの行事が、学校では、そうした目標に替わるものなのかもしれません。それを成功裏に終わらせるためには、通り抜ける過程があり、一つ一つの段階で踏む作業となさねばならぬことがあり、ひとつひとつの成就があって次の段階に進んでいくことができます。みんなの協力が意識の結集であり、達成感の喜びをいっそう大きなものとします。
そうしたことと平行して大事なことは、個々人が、しっかりとした目標を設定することです。今、勉強していることがどこに向かっているものなのか。何に役立つものなのか、どうしてしなければならないのか、何をどれだけすればいいのか、といったことです。でも、紙の上でも目標はあまり意味がないのです。それは、生徒たちの姿勢の中に明白に出ています。留学に来ている生徒ならば、英語に上手になりたい、とこれは、誰もが願うところです。でも、それならば、全員が全員、それに向けて動いているかというと、はなはだ疑問なところがあります。あまりにも目標が漠然で、向かうところが遠すぎるからです。
明確な目標を持つ生徒と持たない生徒には、決定的な違いがあります。
ひとつは、目標に自分の心が入っている時です。それが燃えるように欲しいと思った瞬間、生徒の姿勢は変わります。どうしても手に入れたいと心に火がついたら、がむしゃらな努力が始まります。ひたすらそこに向かって走り始めます。
もうひとつは、心が燃えてない時に必要なもの。それが、定期的な目標です。紙の上のものです。1週間の目標でもいい、1ヶ月でもいい、自分が定める特別の自分時計でもいい。なんでもいいから、自分のアクションを測れる目標がいります。
4月10日は牡羊座の新月でした。自分を燃えさせ、自分の意思を貫き、自分がしたいことに向かっていくのは最良の月です。達成したいことを掲げ、それに向かっていくときです。
イギリスを激しく分断したという批判と、過去の栄光に溺れながら沈む行くイギリスを救った英雄という見方もある「鉄の女」こと元サッチャー首相が亡くなりました。去年、「The Iron Lady」という映画がメリル・スティープ主演で制作されました。生存中にあんな映画を作っていいのかなと思わせるような場面もたくさんありましたが、世界の歴史を大きく塗り替えた一人の人間としての壮絶な人生に考えるところ多々ありました。あのタイミングで映画が作られたことも今にして思えば、これ以上にないタイミングでした。
その中で、元サッチャー首相が繰り返して言っていたことが、「考え、行動することが大事」「行動には勇気が要る。でも、行動がなければ何も変わらない」という言葉でした。
勉学も同じです。学ぶというアクション、それも、結果に結びつくアクションがないと、学校というシステムの中では「成果」に結びついてきません。学校だけでなく、成果を出すということは、社会全体で求められていることです。
さて、新しい月と一緒に、目標を定め、アクションを起こしていきましょう。