ANZAC DAY

投稿日:2013年4月28日

4月25日。毎年この日は、全オーストラリアの心がひとつにまとまります。

もし、オーストラリア魂とかオーストラリア精神と呼ばれるものがあるのであれば、4月25日は、違う文化背景を持つ人々が、それを一番間近で触れることができる日です。

オーストラリアは、どんな田舎の小さな町であっても、そこから兵隊として送り出され、戦争で命を失った方があるところには、必ず、町の真ん中の一角に石碑が建てられています。ANZAC DAYは、一言で簡単に言えば、犠牲となった人々に今の平和があることに感謝し、この平和の維持を誓う日です。それを全国の都市、町、村で、すべての人々の心を一点に集めて行うことで、この日の意義がなお一層深まっています。

イギリス国王(女王)を元首として仰ぎ、英国連邦下にあるオーストラリアは、イギリスが参加する戦争には、当たり前のこととして派兵します。第一次大戦では、ヨーロッパの地で多くの兵隊さんの命が犠牲となりました。特に、トルコのガリポリという地では、無理な作戦計画で1万人余のオーストラリア人とニュージーランド人が亡くなりました。

戦争記念館の館長ネルソン氏は、式典のスピーチの中でこう語っていました。

「98年前のガリポリでの出来事が、オーストラリアの価値観と精神、国としてひとつになるものを創り出した」「国を護るための勇気と自己犠牲、どんな辛さにも耐える精神、互いを支え助け合う同胞精神、統制(その他たくさんの価値観があげられていました)など、そうした価値観がここで生まれた人々、この国に住むことを選択した人々が共有するものである」

98年前のこのできごとを忘れないために設立されたのがANZAC  DAYです。毎年、この日には、オーストラリアが過去に参加した全部の戦争で戦った人々、従軍して各種職種に就いた人々、そして、孫の世代を含むその家族の人々の行進があり、国をあげて、その人々に感謝が捧げられ、全国民の意思に平和の尊さが訴えられます。

ICETの生徒たちは、首都においてその式典に参加することが毎年の行事となっています。よその国の国家行事に、それも第二次大戦では敵国であったオーストラリアの行事に、なぜ、日本人の子供たちを参加させるのかと不思議に思われる方があるかもしれません。この疑問に、私は、心にも意思にも一点の曇りなくお答えすることができます。

それは、戦争は、ごく一部の人々によって決定されるのに、戦争は、勝ち負けに関係なく、そして、軍人、市民と関係なく、すべての人々に大きな犠牲を強いるものです。日本も多くの犠牲を出しました。派兵された兵隊さんたちも、空襲や原爆で亡くなった方々も、空の散った若い青年たちも。戦争を経たすべての人々の犠牲の上に成り立っている今の平和に感謝し、これから世界の人々と一緒に生きていくことをめざす若者たちが、そのことを心底から考える機会だからです。それが、日本であっても、オーストラリアであっても、未来に生きる若者たちが自分たちの平和をどうやって維持していくのか、何を選択すべきか、考える機会があることが大事だからです。地球はひとつです。人間は、みな何らかの形でつながっています。

幸いなことに、毎年、私たちは、この式典に出られる機会を与えられています。

それだけに、式典に厳粛な想いで臨むことは、絶対条件です。「この式典には参加したくても会場に入れない人がたくさんいる。みんなは特別のゲストであることを忘れずに」と私たちの今回の旅にバスを運転するためについてきてくださっているギャビンさんからもアドバイスがありました。

そして、私は、今年の生徒たち全員に、彼らの姿勢に敬意を表します。なんと、2時間、完璧な沈黙を守ったのです。この2時間に彼らの脳裏や心にどんな考えが飛来したのかは、また、シドニーでゆっくりと聞かせてもらうこととして、生徒のみなさん、ありがとう。すばらしく立派な態度でした。皆さんのけじめの付け方は、本当に見事でした。

 戦争記念館の前に特別に設置された会場に、過去の戦争に参加し生き延びた人々や犠牲になられた方々の家族がマーチングの後に集まってきます。後方にある白く空いている観覧席は、その人々で徐々に埋まっていきます。

その行進の一番先頭を切るのが馬です。とても象徴的な意味を持っています。馬は、馬に乗る人々にとっては、人間同様に親友、友達、家族となる存在です。第一次大戦で英国を応援するためにヨーロッパに派兵された多くの戦士たちが、国にお金がないので、自分の馬を連れていきました。馬は、戦場でのかけがえのない戦友となり、命を伴にしました。

でも、その馬を国に連れて帰ることができなかったのです。一旦国外に出た動物は、入国できないという厳しい検疫のためです。自らの手で戦友を殺さなければならなくなった兵士たち、あるいは、心の友を置き去りにしなければならなかった兵士たちの悲痛な想いを先頭を切る馬が背負っています。

 

 厳かな式典の参加した後は、バスの中で着替え、湖のほとりでサイクリング。

キャンベラには、各国の旗が並んでいるところがあります。この近くの公園には、「平和」という文字がいろいろな言語で石に刻まれています。

 

一般人民は、旗が平和に並んでいるように、世界が平和であることを望みます。日本の子どもたちがこれだけ幸せであることも、日本全体の繁栄も、平和があってこそのものです。国家の指導者が、何よりもそれを最優先することを望みます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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