3月11日
投稿日:2014年3月11日
ニューヨークでは、9.11。日本では、3.11。
どちらも同じようにたくさんの人々の心に大きな傷を残し、そして、多くの人々の生活を根本から覆してしまいました。
マレーシア航空の事故もそうですが、原因が何であっても、事故や災害は、あまりにも悲惨です。その一瞬ですべてが変わってしまうことに、誰も対処する術を持っていません。
被害に遭われた方には、申し上げる言葉がありません。どんな言葉もあまりにも虚しすぎて。
今日、たまたまCAPDの授業があり、みんなが調べてくるニュースの中に、東日本大震災のことを取り上げた生徒がいました。
「今日は、私の誕生日です。3年前のこの日、喜び勇んで学校から帰ったら、恐ろしいニュースを伝えられました」という言葉で始まり、3年前のその日の体験、そして、家族をなくしてしまったお友達の話。生き残ったことに罪悪感を感じる苦しみの毎日。家族を誰も亡くした経験がない自分。3年後の今日、オーストラリアで誕生日を迎えられる幸運な自分。家族への大きな感謝でいっぱいです」というユズさん。
震災から年月が経つにつれ、ボランティアの数が減っていくというニュースを取り上げ、お父さんと何度か被災地に足を運び、ボランティアのお手伝いをし、帰国したら、また、お手伝いに行きたいというカヨさん。
私からは、こんな話をしました。
ICETの先輩の中に、「助け合いジャパン」という復興機関の理事をしている方が見えます。東京のコンピューター会社で働いていらしたけれど、岩手出身の自分がこの復興の先頭に立たなければ、復興に人生のすべてをかけられている方です。私たちには、直接にシドニーからできることはあまり無いけれど、FacebookでKotoku Niinumaさんにフレンド申請を出したら、励みになるかもしれない、というもの。
もうひとつは、マリアさんの思い出。
マリアさんは、震災の日、お父さんを亡くしました。あしなが育英界を通じ、パリやニューヨークで震災のための募金運動に参加した後、1年間ICETのプログラムに参加しました。悲しみや苦しみを心の奥にしまい、シドニーでの留学生活を将来への糧とするために本当に懸命でした。彼女の懊悩がいかほどのものであったかは、それを体験していない者には、決して同じ理解には到達することができないものでしょう。
そのマリアさんも、今年高校を卒業し、自分の夢を果たすための道を歩き始めました。
どんなに辛くても、命を亡くされた方の思い出を生かしていくことができるのは、生き残った人々です。運命は、時にあまりにも過酷ですが、それを行き連ねることが、残された人々に課されたものなのでしょう。
孝徳さん、がんばってくださいね。あなたの活躍ぶりは、拝見するたびに心打たれ、心から敬意を表します。
マリア、しっかりとお母さんを支えて、がんばりなさいね。あなたの明るさと懸命な生き様が、弟と妹の模範となるよう。
You are forever with us.
Lots of love