既成の枠から飛び出す
投稿日:2014年10月9日
日本経団連の榊原会長は、「日本の未来は、イノベーションにある」と言っておられます。
ノーベル物理学賞の受賞となった青色LEDは、世界中の人々の世界を大きく変えたイノベーションでした。
それが生まれてくるのは、一人一人の努力もさることながら、どこかの段階で、より良いもの、今までとは違うもの、を作り出すための従来とは違う観点からの発想があったからです。
高校生での留学は、体全体、心全体、頭脳全体が激しく揺すられる体験をします。感性が若く鋭く柔軟なところに、その年齢で外に飛び出ようと思うのは、元々そうした独創性を強くもっている若者たちでしょうから、余計にそうなのかもしれません。
それが、後にいろいろなところで新たな発想を生み出す土台となっていきます。
留学体験がその後の人生にどう影響したかという観点から、現在留学中、そして、これから留学する若者たちにメッセージをいただきました。
「私の名前は妹尾有純。せのおありよしと読みます。
名字と名字がくっついた感じとよく言われます。岡山市の出身です。このあいだ39歳になりました。人生半分過ぎたところです。
13歳までは可愛らしい少年だったのですが、14歳の頃に中学校をサボりがちになり、母が高校選びに苦労し、ようやく探してきてくれた高校では16歳でオーストラリア(アデレード)とアメリカ(シアトル)に1年間留学し、帰国後は人並みに受験勉強を経験し、現役入学した大学に5年行き、一部上場企業に入社し、欧州担当をさせてもらっていたにもかかわらず、若さゆえ5年で退社。
その後東京に出て起業したのですが、5人いたはずの仲間は1年も経つと一人もいなくなっていました。そんな先行き不安感をオンラインゲームにのめり込むことで誤魔化しつつ、仕事の方は人材が足りないので自然とアウトソーシングに頼るようになり、なんとか回していくうちにはや10年。
ぼっち企業だっ た私の会社は紆余曲折の末、社員数17名、売上1億円とちょっとの規模になりました。一時期スペイン人も雇ってましたね、フランス人のお客さんも おられました。
以上が私の半生なのですが、16歳で帰国した後の人生に留学体験がどう活かされているか、今一度考え直すとゾッとしました。というのも、あの時留学していなかったらどうなっていたのか、悪いイメージしか湧いてこないのです、14歳からなまけものでしたから。それも闇金ウシジマくんレベルの 妙にリアルなイメージ。単行本は買ったことがないですが。
さて、これから留学を考えている中学生や高校生が留学前に気にしていることは何でしょうか。純粋に英語が話せるようになりたいとか、海外の生活に 対する不安とか、他の高校生とは少し違う選択をしている自分のこととか。そんなことは全体の5%くらいしか考えてないでしょう、経験も体験もしていない15歳に想像力を求めるのは酷です。
あの時、私のクラスでみんなが考えていたことは学校内ヒエラルキーです。三角形のどこに自分がいて、どのような行動が正解なのか、学校と言う団体行動を強いられる場所では思いのほかこのポジショニングに時間と気持ちをとられていました。たぶん今の生 徒もそうでしょう、意識しているかしていないかは別として。
で、海外に行くわけです、留学ですから。そうするとこの学園ヒエラルキーの三角形が海外バージョンとなって目の前に出されるわけです。ベタなハリ ウッド映画そのまんま、ブロンドは一番上、栗毛や赤毛はもうひとつ。さらにアメフト至高主義(実際にはオージーフットボールでしたが)は常識として存在します。
日本では社会的にやや隠されていたものが剥き出しで少年少女に提供されるので多少困惑します。そして留学なので親はいません、 Nobody loves youです。自分のことをケアしてくれる人は一人もいない状況になります。
そこで日本人同士で徒党を組んだり、女の子であれば現地の彼氏を作ったり、なんとか日本の両親と連絡をとったりしようとします。しかしながらそん なことをしていても留学の目的は達成できません。「英語が話せるようになる」という唯一の目標が海外で独りぼっちという状況でより具体的になり、 16歳の少年でもなんとかしなくちゃという気持ちになります。その結果自分で状況を変えようと自分から動くわけです。今まで三角形しか気にしてい なかった自意識過剰な子供が初めて自分の状況を変えようと、能動的に行動するのです。
前置きが長くなりましたが、私が留学後の人生の選択において、一見無謀と思われる選択をしてきても何とかなっているのはこの留学先での経験があっ たからです。今後なりたい自分をイメージして、それを達成するためには自分から動かないといけない。
単純なことですが、学園内三角形の外に出る意思決定と実際に行動する大切さを学べたからどうにかなっているのだと感じています。特に16歳の時にこれを学べたのはラッキーだったと今になっても感じます。
思えばアデレードから始まった1年間の留学は、現在39歳の私にとっては7年半のような時間に感じられます。留学とはそれだけ新しく、緊張し、危うくも充実した日々なのです。
社会に出ると「英語はツール、それ以上でも以下でもない」とかなんとか書かれているビジネス書やそれを鵜呑みにしている人事部の課長クラスに出会いますが、その通りです。もはや英語が話せるからと言って特別なことではありません。特別なのは、「英語をどう習得したか、その過程で何を感じたか」です。習得の過程が将来の結果を左右することになります。
最後に、これから留学を体験する私の後輩たち、貴方達がこれから経験することを想像すると、正直うらやましくて仕方が無いです。できれば20年後、あなたたちの1年間はどんなものだったのか教えてほしいです。」
16歳の体験は、物事を考える軸を変える大きな体験です。それがどれほどに大きなものであったかは、「1年が7年半に感じられた」という言葉が物語っています。
以下のURLに、東京にある「メディカルデザイン株式会社」を経営されている妹尾氏の経営理念が綴られていますが、これは、妹尾氏の人生理念でもありましょう。
https://www.medical-design.co.jp/recruit/message.html
妹尾さん、大変貴重なご寄稿、ありがとうございました。