「奇跡の学校」を拝読して2

投稿日:2014年10月11日

森靖喜校長先生(当時)のでっかいビジョンのもとに、一クラス全員を外国に留学させるという大胆な大冒険が始まりました。

初めて学校にお邪魔し、5号館という建物にご案内いただきました。そこでお目にかかったのが、目を輝かせて子どもたちのことを語り、留学が実現した事に胸を躍らせてみえる守屋孝治先生と赤松康子先生でした。お二人のすばらしい二人三脚と一緒にがっちりとスクラムを組んでみえたのは保護者の皆様でした。その熱いこと、熱いこと。

なんとしてでも学校を応援して、このプログラムを成功させなければという必死の思いが痛いほどに伝わってきます。

「こんなプログラムなんて続くはずがない。すぐにつぶれるよって、よく言われるの。」という康子先生。「だから、絶対に続かせないと。。。。」

オーストラリアサイドへのプレッシャーも大きいのかな。。。。

ホームステイのことに関しては、まるで、救世主みたいな方が現れたのです。奥山進氏。建築会社の社長さんで、英語科、学校をなにがなんでも応援しようじゃないかと、英語科の保護者の皆様と一緒に、「Global Village」なる組織を立ち上げられました。

今でこそ、グローバルという言葉はどこにでも現れてきますが、当時は、まだ、新鮮な響きを持っていました。なんて、すてきなネーミングでしょう。

奥山さんは、組織を上手にまとめられ、なんでもポジティブに受け止められるすばらしくすてきなお人柄の方でした。

オーストラリアから来た高校生をどのようにホストしたらいいのか、オーストラリア側からのアドバイスが欲しいということで、ホストファミリーの会合にお招きいただきました。夕方から始まり、夜9時過ぎまで、ホストを受けられた方々、これから受けようとされる方々のざっくばらんな意見交換、体験からの知恵などいろいろなことが出されるのですが、みなさん、本当に心の熱い方々で、感動の連続でした。

 長年にわたる英語科のお二人の先生の二人三脚と、保護者が一体となっての強い強いスクラムと、グローバルビジッジの支援があって存続の基礎が築かれたことは間違いありません。本当に濃い血が流れていた時代でした。

 

 

 

 

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