Transformation
投稿日:2014年10月22日
人間が究極的に求めるもの。。。。
何なのでしょう。。。
自分がしたいことができること。
人間が究極的に求めることのひとつではないかと思います。
そこには、夢があり、それを叶える自由や能力や資力があり、時間があり、その結果、幸せとか充実、達成感といった満たされる感情が伴う状態が生まれてきます。
学校で一生懸命勉強して学習能力を鍛え、知識や技術を積み重ねていくのも、行事に熱心に参加して協調性や社会性を身に付け周りに貢献することの喜びを知るのも、みな、次にできることの幅を広げていくものです。
その幅が広がるにつれ、自分がしたいことの内容も幅が広がり、より高いものと変化していきます。したいことも無限に広がっていくでしょう。
そのひとつひとつの変化には、目に見えない小さなものであっても積み重なったら大きなものになるものもあれば、自他ともに変わったなと感じられるものもあれば、あるひとつのできごとに遭遇したためにその前と後では別人のごとく考え方も感じ方も違ってしまうような大きな変化もあります。
ひとつの形や質から、何かの刺激や体験を通して、また別の形や質に移行していく過程と結果を、英語ではtransformation(トランスフォーメーション)という言葉で表現します。
日本語だと変化、変貌、変身、脱皮、変容といろいろな言葉がありますが、そのいずれを選んでも、なんとなく言いたいことにピタッときませんので、ここでは、トランスフォメーションというカタカナ言葉を使います。
先日、「今、蝶々に囲まれています。たくさん、たくさん、いるんです。蝶々には、どんなメッセージがあるのですか?」とある生徒から電話がありました。早速とキング氏に登場してもらうと、蝶々のメッセージは、「トランスフォーメーション」、それも、全く形を変えての。
卵から毛虫に。毛虫からさなぎに。さなぎから蝶々に。まさに変貌、変身です。
とてもタイムリーなメッセージでした。なぜタイムリーだったかというと、ひとつには、その生徒がトランスフォーメーションを自覚しつつあったこと、そして、もうひとつは、その生徒だけでなく、留学があとわずかになったきた今、全員が、どれだけ自分の中にどのようなトランスフォメーションが起こっているのかを意識することがとても大事だからです。
毛虫を嫌がる人はたくさんいます。さなぎは、誰も見向きもしません。蝶々は、みんなに愛でられます。
人間も思春期や精神的自立に至る成長期においては、自分が様々に迷うために、自分を嫌ってみたり、責めてみたり、消えてしまいたいと思ったりしながら、でも、その一方で、変化を求め、探求し、違うものを自分の中に取り入れたいと希求し、様々なことをしてみます。
そんな中で、ある時、自分と向かい合い、本当に自分を見つめる時には、外界の刺激を意図的に遮断することもあれば、強制的に遮断されてしまうこともあります。暗いトンネルに入ったといってもいいでしょうし、ダークな瞬間だと言ってもいいでしょうし、絶望的な時間だといってもいいでしょうし、冷静に自分を見つめる時と言ってもいいでしょう。
偉人の伝記を読むと、人生に、そうした瞬間や時期が必ずあり、その時期を乗り切ったことによって大きな飛躍を遂げ、人々が見るのは、トランスフォーメーションを遂げた新たな姿です。ここでの蝶々です。
留学生は、今、最終のトランスフォーメーションの過程に入りつつあります。
多くの生徒たちが一緒にいるので、毎日が楽しく過ぎているような印象があるかもしれませんが、留学してきたその日から今日まで(+12月6日までの残りの期間))、悩みや葛藤、感情の振幅の激しさの揺れ、自分を深く見つめる機会、文化的価値観や慣習の違いからの対立や摩擦や誤解、過去現在未来に続く自分の道の探索などなど、いろいろな精神的および感情的な過程を通らない若者はいません。
その都度、それを越えた次の広がりの中で、また同様なことを違うレベルで体験し、それをまた越え、といったことを繰り返します。ひとつ体験すれば、また違う味と色、違う展開、違うレベルの体験が待っています。
形は似たような体験であっても、すでに自分の中身の中に違う層ができていれば、その体験は以前とは違う質のもの、違う結果をもたらすものとなります。
その都度、中身は、常に小さな成長とそれに伴う変化を積み重ねてきています。それを生徒が認識すれば、それは自信となって積み上げられていきます。認識しなければ、自分がどう成長してきたかは現時点ではあまり明白ではないかもしれませんが、その成長や変化、トランスフォーメーションは、部分的であっても、否が応でも帰国したら眼前に突きつけられるものとなります。また、別の部分は、もっとずっと長い時を経てからなんらかの形で行動や考え方の中に出てくるものもありましょう。
留学のひとつの特徴は、徐々に徐々に成長した結果が自然に大きなトランスフォーメーションとなっているということです。では、これによって、別人になるのか? 決してそうではありません。魂を大きく揺さぶられるような特殊な体験がなければ、別の人になったかのような変化は通常起こりません。たとえば、殻を破って明るくなったという変化は、もともとその人が持っていたものが、違う刺激を受けることでその部分が飛び出しやすくなっただけのことです。
留学中のトランスフォーメーションは、外界から得るそれまでとはまったく違った刺激により、留学に持ってきた原型の、どこかの箇所がもっと強く引っ張られたり、どこかの箇所が引っ込んだり、いろいろなものが融合したりしながら、原型そのものが流動的に動くことから起こる変化と、もうひとつは、その周りに付け加えた付加価値です。
その付加価値は、新しい情報や知識であり、視野の広がりであり、新しい物の見方であり、新しい発想の源となるものであり、新しいやり方であり、新しい友情の輪の広がりであり、新しい技術や能力であり、そうしたものが総合的に豊かな蓄えとして付加された財産の全体が、1年でのトランスフォーメーションです。
これを帰国してどう表出するか、どう使うかは、環境が違えば、また、別のトランスフォーメーションが必要となるので、そこに、また別の成長が加わってきます。
そうしたトランスフォーメーションの積み重ねにより、徐々に徐々に、自分がしたいことができる範囲や選択肢が広がっていきます。
自分のトランスフォーメーションがどのように起こっているかを認識し自信を深めていくことが、留学を締めくくる時期においては、最も大事なこととなります。なぜなら、そのほとんどが目に見えないものだからです。そして、その自信こそが、その後に続く自分の道拓き、後押しするものだからです。
それを自分の中に落とし込まなければ、留学におけるトランスフォーメーションは、日常の忙しい生活で起こることに反応するだけのこととなり、次第に風化したものになってしまいかねません。
留学の成果は、そのトランスフォーメーションを自覚することにあります。