生き方の姿勢
投稿日:2014年10月24日
先日、おもしろい記事を読みました。
ノーベル経済学賞を受賞したフランスのジャン ティロール氏に関して、一橋大学の経済研究所の北村行伸という教授が日経ビジネルに投稿された記事です。
経済効果を起こすインセンティブ(モチベーションを引き起こす刺激)について書かれていて、「人間のインセンティブは経済的報酬に比例しているだけではなく、自分自身の評判、他者への思いやりにも依存している」とし、ふたつの姿勢が例としてあがっていました。
ひとつは、良い行いをする、という「積極的なインセンティブ」。
もうひとつは、悪い事をしない、という「消極的なインセンティブ」。
ここでは、この部分だけを抜粋し、経済効果(間接的にはこれにも波及するでしょうが)ではなく、留学及びその後の人生への影響について考えてみたいと思います。
良い行いは、自分に恩恵のあること、周りの人々に恩恵のあること、社会に役立つ事というふうに定義できましょうか。
一生懸命勉強し、いろいろな活動に飛び込み、新しいことにチャレンジし、出会いを絆に発展させ、自分の世界を広げ、友達の学習や成長の良きライバルであると同時に支援者であれば、自分の成長は無限大となるだけでなく、人々から信頼され、感謝され、尊敬も得ましょう。
そして、それがそのまま、所属する学校の名前にいい形で反映し、しいては、日本という国や文化への良い「評判」として貢献ともなります。
自分の世界をどんどんと広げ、人々との交流が増え、豊かな人生を築いていくという「積極的」な生き方は、その行動を繰り返している間に、次々と新しいインセンティブが出てきます。他者からの働きかけも大きくなっていきます。交流の輪も大きくなっていきます。
これは、留学中だけでなく、大学においても、企業においても、所属するどういう機関においても、地域社会においても、とても大事な姿勢です。生きている限り、生き方を支配する軸となる姿勢です。
では、「悪い事をしない」というこれも大事な教えなのに、なぜ、これが、「消極的」なものとなるでしょうか。
「悪い事」というのは、ルールに反すること、人を困った立場に追い込んだり傷つけたりすること、法に触れること、と定義できましょうか。
悪い事をしないのは、社会の秩序を保つために、そして、自分の身を守るためには、極めて大事なことです。
その一方で、悪いことに発展してしまわないために、自分の行動を抑えてしまう、あるいは、間違いを起こさないために親や先生や先輩からの指示を待って行動するという指示待ちの姿勢になってしまうと、自ら切り開いていくという展開は、限られたものになってしまいます。
敢えて枠を飛び出す、飛び越えて何かするという冒険心やチャレンジ精神をもぎ取ってしまうことになりかねません。先が見えないことに不安を感じてしまうからでしょう。そうなると、そこで勇気をふりしぼって飛び出すためのエネルギーはとてつもなく大きなものに感じられ、面倒になります。
そこで勇気をふりしぼった先には、それまで見たことのない世界が広がり、何倍もの喜びや心の弾みがあることを何回か体験したら、積極的に動くことの価値が自然に見えてきます。
与えられる学習や活動を通して学ぶこと、学べることはたくさんありましょう。でも、与えられたことをこなすエネルギーは最低限で済みます。考えることさえもしなくていいのです。言われたことをやっていればそれでいい子になるのですから。
逆に、積極的に動く場合には、目的が「良いこと」であっても、それまで誰もしたことがない境界線をまたぐこともあるでしょうし、その結果、いたずらとして見なされることもあれば、失敗に終わることもありましょう。でも、それは、すべて人生の肥やしとなります。
指示待ちであれば、時には、したくないことを無理矢理にしなければならないこともでてきます。でも、逆らうのは「悪い事」と教えられていますから、いやいや感を抑えるためにむしろマイナスのエネルギーを必要とするようになるかもしれません。
たとえば、簡単な例をとると、コミュニケーションの大切さは、いろいろなところで唱えられています。でも、中高生が持つ恐怖のひとつに、「人を傷つけるかもしれない」「自分が嫌われるかもしれない」というものがあり、自分の気持ちを伝えることに躊躇してしまう若者たちがけっこう数多くいます。
友達の間、ホストとの間、親子での間、先生たちとの間、先輩や後輩との間など様々な人間関係の中で。
そうなると、言いたい自分を自ら否定し、言いたいことを抑え、身体的にも重しを抱え、そんな自分が情けなく見え、関係は深みのない表層的なものとなり、互いの理解は浅い物であり、本物の絆が生まれる可能性は小さく、そんな状態に苛立ち、悩み、それでも、言わない方がいいと自分の判断を正当化し。。。と負のスパイラルに入ります。悩まなくていいことに神経とエネルギーを使うことになるのです。
言うか言わないかで悩んでいる間は、エネルギーの向きは、行ったり戻ったりで、同じ場所に停滞しているだけです。前後に動く代わりに、胸やお腹に抱える重みが増し、エネルギーはむしろ奪われてしまいます。
言いたいことがあれば、相手のためとなり自分も嫌われない言い方を考えらればいいことで、そうなると、エネルギーは行動を伴う積極的なものに変化していきます。
姿勢は、誰もが学習でき、誰もが取り入れることができるものです。
どれだけ積極的に自分の人生を築いていくか、毎日の生活で多いに考えてみる価値がありますね。