1年がもたらすもの
投稿日:2014年12月17日
シドニーが凍り付いたあの事件。
起こらなくても済んだかもしれない事件。犠牲になった命。誰もが受け止められずにいる最中、パキスタンでの襲撃事件のニュース。
大勢の子どもたちが犠牲となりました。
一体どうこれを受け止められばいいのでしょう。。。。
政治なのか、宗教なのか、教育なのか、人類愛なのか。紛争や戦争や暴力をどうやったら止められるのでしょう。。。
シドニー市民は、あらゆる方向から、結束が呼びかけられています。亡くなった方々の命をむだにしないように。
シドニーだけでなく、世界中がその結束を呼びかけるべき時です。
そろそろ、このブログも今年を終了する時にきています。
最後がこんなにも醜く悲惨な、でも、その一方でこんなにも美しい人間の両方の側面を見ることで今年を終了するのは、とても感慨深いものがあります。
ある意味では、ICETのプログラムの真髄を突いているようなものでもあります。
世界は、すさまじい勢いで動いています。日々、様相が変わります。
10年後に世界がどうあるかは、もう予測不可能な時代に突入しています。今十代の若者達は、その時代を生き、これからの時代を創っていく人々です。
彼らは、どういう変化に対しても柔軟に身をかわし、その間を縫って自分の歩む道を切り拓いていかねばなりません。
高校生のまだ柔軟な感性を持つ間に、日本とはまったく異なる文化の中に身を置き、多様な価値観が存在することを実体験し、相互にコミュニケーションをすることが唯一の共存の道であることを学びます。
世界を視野に入れた適宜な選択をすることが自分の未来の成功につながり、幅広く社会に貢献できることにつながることを学びます。英語は、単にそのためのツールでしかありません。しかしながら、極めて大事なツールです。それが無いとコミュニケーションそのものが成り立たないからです。
今年を締めくくるものとして、生徒達が書いたものを今日と明日にかけて何点かご紹介しましょう。
My year 2014
「夜空に輝く綺麗な星達。宵の街を照らす満月。ただ美しいだけではない、星や月はいつ見ても羨ましい。なぜなら彼らは永遠とも言える時間の間、輝き続け多くの人に幸せやロマンスを与える。それは僕の周りだけで起こっていることではなく世界中、即ち地球全体で起こっている想像のできない、とてもエキゾチックでロマンスに溢れた素晴らしいものと思う。」小学5年年生の時の日記にこんなことを書いていた。あの頃の僕は、ただ夜空に浮かぶ星や月を見るのが好きだった。しかしいつからだろうか。この夜空は海を越えた異国の地の人々にも同じものを見せているのだろうか。そんなことを思うようになった僕は、自分の目で確かめてみたい気持ちとまだ見たことない世界を知りたい強い衝動に駆られ、いつの日か世界中を旅することを夢見ていた。この強いインスピレーションを抑えられるはずもなく僕は気づけば迷いなく日本から離れたオーストラリアという国に来ていた。
初めて飛び出した異文化の世界は何もかもが違っていた。いつものように学校に行けば異なる言語で挨拶をし、異なる言語で授業を受け、異なる言語でコミュニケーションをとっていく。違っているのは言語だけではない。思っていることはすべて言葉にし、何事もやってみようという物事に対する価値観や姿勢、日本とは異なるマナー、食べるものまで違う。このような多くのことが日本とは違っている環境で約11ヶ月間過ごしてきて、僕の考え方や心情に変化があったと思う。
僕の変化は大きく分けて二つに分けられると思う。まず、最初に言えるのは自分自身の変化だと言える。僕は多くのことをこの11ヶ月の間にやってきた。まず最初に挙げられるのは学校行事を積極的に取り組んできたことだ。Athletic carnival , swimming carnival などの立候補制のものでは立候補し、最後までやり遂げた。次にクラスや学校への貢献にも取り組んだ。SRCへの立候補やディスカッションなどへ熱を持って取り組んだ。また責任感や自信を持つことの大切さにも普段の難易度の高い英語の課題や、ネイティブイングリッシュスピーカーと話す時などから気づくことができた。これらのことは、これから僕自身が生きていく上で必要であって、もしもここでこれらのことが養えていなければ、なにか物事に挑戦してみようという姿勢や、自分の考えを言葉にし発言する能力、自信を持って物事に取り組むことの大切さには気づけなかったとおもう。
僕の大きな変化は自分自身のことだけではなくもう一つあり、それは多面的な物事の見方である。これは僕の価値観が変わったことが大きく関係していると思われる。留学前では、僕は日本からしか世界を見ることができなかった。海外のメディアを観るにも僕にはそれを理解する能力がなくどうしても日本語のものに頼ってしまい、日本よりの考え方でしかみられなかった。しかしオーストラリアに来てからは、学んだ英語力を駆使し海外で何が起きているか、日本と外国の関係などを見ていくことが出来るようになった。中からしか見られなかったものを外から見ることで、日本から見た時と違う意見や考え方に巡り合うことができた。また多様性が尊重される国オーストラリアでは英語で多くの国やひとの意見が聞け、自分が今までいかに固定概念にとらわれていたかに気づかされる。
残念ながらすでに僕の留学生活は終焉を迎えようとしている。僕はこれからここで学んだものをまだ僕が日本にいた頃と同じ考え方を持っている人や知る意欲がある人たちなどに伝えていきたいと思う。なぜならそれがもっとも簡単で効果的な方法であると僕は思う。おそらくほぼすべての人が何かしら何かに対してステレオタイプ(固定概念)を持っていると思う。それは人それぞれ考え方や価値観の違いからまったく異なったものとなってくるが、ステレオタイプがあるためにその国、またはその国の人についてあまり良く思わず、いわゆる食わず嫌いの様にその国の理解を得ようとしないかもしれない。そのような人達が多くなってしまうと、おそらくグローバリズムを衰退させてしまうようなこともあるかもしれない。グローバリズムが政治などにとってとてもいいものかどうかは別として、やはり海外の人々と関わる機会はあったほうが良いと思う。前に述べたようにそれは私たちの考え方をより柔軟にし、世間をよりよくしてくれると僕は思う。そうなるためにはグローバリズムが必要不可欠なことであって、今の僕にできるのはまだ世界を知らない人達や間違ったステレオタイプを持った人に自分がなにを経験してきたかを伝えてより正しい理解が得られたら、争いや葛藤は無くなるんじゃないかと思う。問題なのはグローバリズムじゃなくグローバリズムを理解しようとしない考え方であると留学することで感じた。」 Y. T.