Comfort Zone
投稿日:2015年2月28日
人間は、誰でも、自分が心地よく感じる空間を持っています。
好きなことをしている時。好きな方法で何かをやろうとしている時。気兼ねすることのない人や仲間たちといる時。精通していることにさらに磨くをかけている時。
そんな時は、心穏やかであり、あるいは、心が弾み、楽しく、自信に満ちた状態にあります。
中でも特に、自分が完全にそこに没頭している時は、脳神経すべてがシンクロする状態になり、その状態を南カリフォルニア大学で脳神経と身体活動、及び情感との関連を研究しているナーディ博士は、”the flow” と名付けています。いつどのようにしてフローの状態になるかは、個人によって違います。
そこまでの状態にはならなくても、何も不安を感じず、物事を楽しみ、特に構えることなくいろいろなことができる空間を英語では、Comfort Zoneと言います。
この空間は、とても大事なものです。そこにあって初めて、安定を感じ、土台を感じ、自分の力を感じ、安心して自分を休めることができ、次の挑戦にかかる準備をすることができるからです。
その一方で、その居心地の良さが慢性化し、ぬくぬくとしたものとなり、そこに浸ってしまうようになると、新しいことに挑戦することが億劫になってきます。
留学してくる若者たちは、みな、日本で持っていたこの comfort zone から飛び出し、快適な空間を一旦全部捨て、まったく新しい環境の中で、再び、自分が心地よいと感じる空間を作り出す過程におかれます。否応無しに。
初めて出会った人々と一緒に「家族」として暮らし、まったく違う授業方法で授業を受け、新しいクラスメートと仲間としての関係を築く、といったこと全部が、それまでのcomfort zoneの外で起こることです。
しかも、それを英語というまだままならない言語でしていくのは、本当に大変なことです。
でも、その新しいやり方が習慣化し、自分の身に付き、その空間で起こることは別に意識しなくてもできるようになってくれば、そこに蓄積されてきたものは、新たな comfort zone の広がりであり、それが、「成長」として自分の身に付いているものです。
同時に、新しい環境においても、したいけれどできないこと、なかなか勇気が出ない、これまでのやり方では通用しないことがわかってもそれ以外の方法に踏み切れないことなどが新たに出てきます。そこには、不安があり、失敗への恐怖があり、どうしても勇気が出ません。
それに立ち向かい、新しい領域に挑戦することが、comfort zoneを抜け出るということです。
ちょうど、そんなことを生徒たちと話している時期だとテレパシーが働いたのでしょうか、実は、その「抜け出る」「飛び出せ」という言い方が問題なのだ、という便りがある卒業生から届きました。
コンフォートゾーンから飛び出せと何度も言われ、それが、16歳の好奇心旺盛な自分には、留学を成功させるための大きな原動力となった。しかしながら、その言葉は、未知の世界に飛び込めということと同様で、恐怖を与えるものであり、その恐怖のために飛び込めない仲間もいた、だから、「出よ!」という表現を止めて、目標に到達することで自然にそこから出ているという方法に変えたほうがいい、というものでした。
私のところには、しばしば、こういう便りが卒業生から寄せられます。留学を終えて、人生のいろいろな岐路で、留学当時の自分を思い出し、また、当時受けたアドバイスを環境に応用しながら反芻してみるからでしょう。
こういうアドバイスや指摘、また留学当時考えていたことなどが卒業生から送られてくるのは、言葉で言い表せないほどにありがたいことであり、幸せなことです。自分が体験し習得し、考え、感じ、成長したことを後輩たちにもできるだけ体験して欲しいという熱い熱い想いがあり、ICETのプログラムが少しでももっと良くなるようにという教育的な視線と愛情があるからです。
ここでご紹介するものもあれば、プライベートの場合もあります。高校生の時に違う世界があることを知り、卒業してから猛勉強をするようになり、さらにたくさんの体験や知識や積み、いろいろなことに開眼してからのこうした対話は、本当に深いものとなります。
私にとりましては、大きな喜びであるだけではなく、覚醒となり、新しく教えられること、気付かされることがたくさんあります。
今回のメールもその類いのものであり、恐怖を与えることなく新しい領域に誘い出すためにはどうしたらいいのか、いろいろと考えことになりました。
たまたま、以前、 CAPDのセッションで自分を知るということに関連して使用した図があるので、それを使って説明を試みることにしました。
真ん中の「自分の核」となるもの。これは、個々の人間が生まれ持ったもの、あるいは、幼少時に培ってきたものです。自分の核だからといって、必ずしも自分が見えているものではなく、むしろ、わからないものがほとんどだと言っても言い過ぎではないでしょう。
意識の中に徐々に浮かび上がってくるものもあれば、無意識の中に留まったままのものもありましょう。
それを囲む「受け入れて成長した部分」「成長してきた自分」という部分が、育った環境の中で培われたきた物の見方、考え方、論理性、価値観、磨いて来た能力など、その人を作る基本となっているところです。この中には、意識の中で明確にわかっているものもあれば、普段気付いていなこともあります。
例えば、ある時に、突然、自分が頑固になることがありませんか? 普段だったら、簡単に流してしまえるし、人を受け入れることができるのに、その時ばかりは、どうにも、譲れないと強く感じるような場合です。普段、自分の価値観はこうだああだとわかっていなくても、こんな時に突如頭をもたげた価値観や強情な感覚によって、それにきちんと向き合えば、自分が何を守ろうとしているのかが鮮明となります。
能力にしても、人に何かを言われて、ああ、そうか、と気付くこともたくさんありましょう。
このピンクの層の厚さは、人によって、まったく違います。学習、練習、訓練、人々との交流、交友関係、社会生活の中での活動など、一人の人間が体と頭を使う体験が多ければ多いほど、この層が厚くなります。そのすべてが、その人の「成長」だからです。留学生がどれだけこの層を大きく広げるかは、想像に難くありませんでしょう。
この層の無意識に自分の中に浸透している部分が、comfort zoneだと言えます。
卒業生からの手紙の中の、「好奇心を持って飛び込んでいく生徒は」、この層が比較的厚く、成功、失敗を両方含め、すでにいろいろな体験をしているから、新しい世界でもあまり物怖じしないし、むしろ、喜んで未知の世界に飛び込んでいきます。失敗しても、自分がまた立ち上がれることがわかっているから、失敗を恐れないで済みます。また、どこまで自分を引っ張ることができるか、逆に言ってみれば、何を越えたら失敗になるかをわかっているとも言えましょう。
「環境の中にある自分」 「表に出る行動」の領域は、自己の行動、そして、他の人々から見える日常の行動です。この部分は、1人の人間のほんのわずかな部分で、氷山の一角にしか過ぎないのですが、それでも、人間同士は、この見える部分で社会行動をしているので、ここは、常に周囲の刺激があり、影響されて凸凹が多くなれば、気持ちの変動も大きくなります。それだけに、この層においては自主的なコントロールを持つことが難しく、しかも、過去の体験が浅くピンクの層が比較的薄いと、結果がよく見えないだけに、未知の世界に飛び込むことに躊躇しがちだということが言えましょう。
7年生全員と10年生のリーダーたちとの昨日までの3日間の合宿は、まさに自分のcomfort zoneと向き合う時間でした。ICETの生徒たちにとってだけではなく、7年生にとっても、10年生のリーダーたちにとっても、です。
7年生たちの中には、活動によっては、チャレンジできない生徒たちがいました。DHSの10年生でも、空中で恐怖に涙を流している生徒も数名いました。
こういうことが大好きな生徒たちは、楽しくて、楽しくてしかたがありません。高所恐怖症だったり、怖いと思う生徒は、お腹に力を入れて、「よし、やるぞ」という覚悟が要ります。そして、飛び降りた、まさに、飛び出た生徒たち。膝がガクガク震えても、やってみたら、意外に怖くなく、むしろ、これからという前段階で、不安を膨らませていたということがわかります。それを何度か繰り返しているうちに、心配も徐々に消えていきます。
おもしろいのは、ICETの生徒たちは、こういう身体的活動では、やならかった生徒が一人もいなかった一方で、英語でDHSの生徒に話しかけるということがなかなかできない生徒が少なくないことです。
あちらから話しかけられたり、きっかけを作ってもらうと話すことができるのに、自分から話しかけるという行為に踏み切れない、というのは、極めて面白い心理です。ここには、深い理由があるのですが、拙著「沈黙の国から来た若者たち」の中にそのへんの事情は、詳しく書かれています。
さて、この図を使って、留学に出てきてから、どれだけ新しいことに挑戦し、成長し、自分の comfort zone を広げてきたか、それぞれの生徒が書いたものがあります。彼らの許可を得てから、掲載していきたいと思います。