URA Forum

投稿日:2011年5月8日

  ICETには、URA Forumという催し物があります。

 U-Understanding (理解)

 R-Respect (尊重)

 A-Acceptance (受容)

 Forum(フォーラム)は、古代ローマで人々が集会を開いた場所。

 それを合わせて、URA Forumです。

 共生なくして、世界の存続はありません。「共生」という言葉が強調されて久しいのに、世界は紛争、争いだらけです。

 留学生の課題のひとつは、違う文化の中で上手に暮らすことです。「日本」「日本的」を押し出し過ぎたら、新しいものを受け入れることはできません。新しいものを受け入れすぎたら、「日本」「日本的」なものを否定してしまうようになり、どこに軸があるのかわからなくなります。

 抵抗も受容もバランスの問題です。

 そのバランスはどこから生まれるのでしょう。それぞれの文化や歴史や価値観を少しでも知り、理解することで、その違いを尊重できるようになります。相手を尊重するということは、同時に、自分の文化や歴史や価値観を尊重することを意味します。尊重すれば、尊重されます。その上で、お互いに違うということ、そして、尊重できるものがあるのだということを、寛容に受け止め、その上で、共通するものを享受し、違いからは学ぶという姿勢が不可欠となります。

 同じことが個々の人間関係でも言えます。自分と違う、自分と合わない、嫌いだと相手に感じるのは、みな、自分の心やエゴの反映です。自分の中にある何かの不足、過剰、こだわり、そうであるべきと信じているもの、自分の学んだ常識などが相手のそれに照らし合されることで、エゴが様々に刺激され、そのギャップが居心地の悪いものであれば、嫌い、受け付けないものとして感じられます。

 これを克服するには、相手から学ばせていただくという意識を持つことです。学ばせていただくという姿勢があれば、人間、自ずから謙虚になります。学ぶことができれば、自然に感謝の気持ちを持つようになります。

 留学生は、違う国の新しい環境からたくさんのことを学びます。ホストや先生たちも、留学生から学ぶことが毎日たくさんあります。個々の人間関係と文化という、ふたつの層で、みんなが学んでいくことができます。

 そこには対立あり、葛藤あり、誤解あり、摺合せがあり、話し合いがあり、時には、言い合いがあり、様々な試練があることは言うまでもありません。だからこそ、そこから生れてくる理解、尊重、友情は、非常に意味のあるものとなり、そして、成長も大きなものとなります。

 ところが、これが、国(国家)、イデオロギー、宗教教義といった統制下にあるもの、組織の元で成立しているものになると、URAは吹っ飛び、どちらが正しいかの競争になり、そこから、たくさんの不幸が生まれます。

 ICETが主催するURA Forumは、草の根のレベルで、せっかくオーストラリアのように多様な民族が住む国に留学してきているのであるから、いろいろな文化背景を持つ同世代の人々の考え方をお互いに学ぶ機会を持とうではないか、という主旨のものです。

 副産物もあります。留学生は第二言語で生活していますので、学校全体に向けてのリーダーシップを執る機会は、現地の生徒が得る機会と比較したらとても小さなものです。SRC(生徒会)への参加は、一つの機会です。日本の文化紹介もリーダーシップの練習ができる場面です。このURA Forumは、多層なレベルで、リーダーシップだけでなく、組織力、コミュニケーション力、洞察力、計画性、実行力を要求されるものです。なぜならば、生徒主体で行われるものだからです。

 2学期が明け、今年も6月28日の開催に向けて、動き始めました。トピックなどについては、この次の機会に。

 

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