残り1週間(2)

投稿日:2011年12月3日

  キャンベラの写真を何枚か。

バーリー・グリフィスの都市計画案から始まったキャンベラ。わずか100年足らずで、世界でも有数の美しい都市に発展。標高870mの夜風に吹かれて

2週間前にオバマ大統領の演説があった下院の議事室。

ピクニック・ランチは、この岸辺で。

 

 Gold Coastの生徒たち2名は、帰国の途につきます。どんな気持ちで飛行機に乗るのでしょう。

 シドニーの生徒たちは、あと7日間。

 そろそろ、日本のご家族との1年ぶりの再開の図が頭の中に浮かんだり、消えたりしているようです。 第一声、何を言えばいいのか。どんな言葉がご家族の皆様から飛び出してくるのか・・・

 そんな想像は、現実の前ではすべて吹っ飛び、思いもかけない言葉が飛び交う中で、再開の喜びに浸るのでしょう。

 私が祈りますのは、帰国後の数日の間に、成長をいろいろな形で親御さんや日本の学校の先生がたに感じていただけることです。それは、言葉であり、仕草であり、話しの内容であり、語る考えであり、日常の中の行動であり、いろいろなところに表れてくるものだと思います。

 ご家族の皆様は、いろいろなことをしてあげたい、この1年間満たすことのできなかった愛情をどういう形で表現したらいいかといろいろ考え、計画を練っていらっしゃることでしょう。

 そこで、ひとつお願いです。まずは、してあげることよりも、何ができるのか、を観察していただきたいということです。自分の身の回りのことも、いろいろなことができるようになっているはずです。

 がんばってきたんだから、また、親にしてもらいたい、してもらって当たり前、と子供の中にも甘えがあるかもしれません。親御さんも、苦労してきたのだからあれもしてやりたい、これもしてやりたい、といろいろと考えられていらっしゃることでしょう。まったく当然の感情です。

 しかしながら、1年前の生活環境、生活習慣にそのまま戻ってしまったら、さらに、1年のブランクを埋めようという巨大な愛情で与えられるだけのものを与えよう、そして、もらうほうももらえるだけもらおう、という「甘えの構造」に落ちてしまったら、この1年は何だったのか・・・・

 そうならないよう、双方からの意識があることが、それ以後の本当の自立につながるだけでなく、この1年の真価が光ってくるのだと想います。

 今は、若者が若者でいられるモラトリアムの時間(一人前ではなく親の庇護のもとにある期間)が長く、自立をしないまま自分の自由な時間を過ごす時代の流れとなっています。西洋でも起こり、その社会的対策がいろいろと試される中、日本は、まさにその真っ最中にあります。

 昔は、15歳で元服でした。

 15歳ともなれば、知的に発達し、自立を望み、自分の社会的責任を意識し、知恵を働かせることができる年齢です。留学してきた子供たちは、高い志、大きな責任感、未来へのでっかい望みを感じ、養い、広い世界で元服を遂げたはずです。

 親に、社会に何をしてもらえるかではなく、自分が、家族のために、社会のために、世界のために何ができるのか、を真剣に考えてきたはずです。

 国際社会の一員としての1歩も踏み出しました。 そうしたデッカイことを成すためには、「甘え」は禁物です。ここで、親御さんの愛のムチが最も必要とされるときです。せっかく1年苦労して築いてきたものをなし崩しにしてしまわないように・・・・

 学ぶことは、まだまだこれからです。むしろ、帰国した時点で、新しい学びが始まると言うべきかもしれません。

 

  

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