11
投稿日:2012年3月11日
マスター・ナンバーと呼ばれている数字があります。
11、22、33です。
どこからどのように始まり、継承されてきているのかわかりませんが、宇宙の動きや歴史の中で起こることや科学的な数値のマジックなど、いろいろなものが組み合わさって、この数字の組み合わせの不思議な、そして、巨大な力を表すものとして今に伝わっているのでしょう。
1 は、スピリット(精霊、心霊、心、精神など)を表し、2 は、光(黎明、光源、啓蒙など)を表すといいます。
1が2つ並ぶので、人間の精神がダブルの力で啓蒙され、恐ろしくパワフルな数字となるようです。
11は、形からして「門」であるとも言われます。
この門をくぐると、今までとは違う未知の世界に足を踏み入れることになる、だから、くぐる際には、その前と後では、世界が違うことを意識せよ、知恵を使え、という警告だということ。
2001年9月11日。世界は、恐ろしい体験をしました。
その11日を境に、世界中の人々の気持ちは、確実に変わりました。大きく変わりました。
犠牲者となって直接影響を受けた人々、犠牲者のご家族やあたかもすべてテロリストとして疑われ差別を受けるようになった回教徒の人々のように間接的な影響を受け続けている人々など、度合いは違っても、多かれ少なかれ、世界でその影響を受けていない国も人もいないのではないでしょうか。
日本だって、決して敵対関係ではないイラクへの侵略を暗に認め、間接的に変化の中に飛び込むことになりました。
そして、2011年3月11日。
世界は、そして、日本は、それまでとは違う世界に突入しました。
一国の住民が、それも2万人もの人々が、瞬時にして消えてしまうような出来事が、社会に、その国全体の精神性に影響を与えないはずがありません。その瞬間に、日本は、大きく変わりました。何か、とても重いものを背負いました。昭和20年の8月と同じように。
住む家を失い、波にのまれてしまった家族を想う人々の心は、如何ばかりのものでしょう。かつての賑わいは幻のように消えてしまった海岸に立ち、未来への不安を募らせてみえる方々のお気持ちは、どれほど悲惨なものなのか想像もできません。
生きていることが辛すぎると感じられることだって多々あるのではないかと思います。それでも、一生懸命生きていこうとされている皆様に、遠くにいて、ただただ頭を垂れるしかできることがありません。
大海の波に連れ去られた方々の魂が、1年経った今は無念さから解放され、地上に残された人々が悲しみと苦しみから逃れることができるよう祈っていてくださるのではないかと思うしかありません。
人間は、自然災害であれば、命を奪われても、それがどんなにたくさんの人々の命であっても、自然という巨大な力の前には、素直にひれ伏し、自然の力を憎んでも、再び、その偉大な力を崇拝する強さ、バネを持っていることを世界で災害が起こるたびに感じます。
多分、それを何千年とこの地球上で繰り返してきたからなのでしょう。
しかしながら、今回は少し違います。11という数字が並ぶ、3月11日。去年のこの日を境にして、私たち人間は、未知の世界に突入しました。
自然の猛威だけでは済まなかったのです。
原発は、人間の産物です。そして、故意にせよ、盲目にせよ、無意識にせよ、度合いの違いはあっても、われわれ全員がエネルギーという「恩恵」に預かってきています。
何が未知かというと、誰もどう対処していいのかわからない、専門家たちでさえ。政治家も科学者もすべて手探り。誰も、これという知恵がないのです。
まさに未知の世界です。日本の惨状を見て、世界中が混迷のさなかにあります。果敢な決断を下した国もあります。何も決断が下せない国がほとんどです。
原発の脅威に晒されている人々は、その苦しみから解放されることができるのでしょう。あきらめられる瞬間が来るのでしょうか。
門をくぐって未踏の道に踏み込んだ人間に知恵は授けられるのでしょうか。
去年の今日、命をなくされた方々のご冥福を心からお祈りします。そして、一生懸命毎日を生き抜いてみえる皆様に、1日も早くお心に平穏が訪れますよう。
生とは何か、死とは何か、生きるとは何か、いろいろなことを考えながら、今日、再び、私たちは、11の門をくぐっています。
門の向こうの新しい世界は、知恵に満ちたものでありますよう。