野外研修
投稿日:2012年3月22日
今年から、1ヶ月に一度、4週目の日曜日に、シドニーの名所を訪ねることにしました。オプションです。
先々週にSydney Challengeでシドニー市内に出かけたばかりなので、少し、新鮮味が失せるのですが、今回は、この地の歴史に触れる場所を訪問します。それに先立って、オーストラリアの歴史に少し触れてみたいと思います。
16世紀頃にヨーロッパで描かれた地図をご覧になったことがありますか? そういう地図を見ると、今のオーストラリアはとても大きな土地で、南極を囲んで地球儀の下部を全部包むような形に描かれています。地図によっては、輪郭がはっきりしていないものもあります。
オーストラリアは、御存知のように、アボリジナルと呼ばれる先住民が住んでいました。住み始めた年代は、2万年とも4万年とも、もっと前からだとも書物によってちがいます。ヨーロッパの人々にそのことが知られていなかったので、想像的な存在として、Terra Australis incognitaという名前が付けられました。
ちなみに、terraというのはラテン語で‘土地’、Australisは‘南にある’、Incognitaは‘認識できない’‘知られていない’という意味です。オーストラリアという国名がどこから来たかは、これで明らかです。
キャプテン・クック(James Cook)が1770年にオーストラリアの南東から東海岸沿いに探検し、初めてヨーロッパの地図にオーストラリアの東海岸線が実際のものとして記録されることになりました。その後、1801年にキャプテン・フリンダース(Matthew Flinders)が海岸線を一周し、オーストラリアの形が正確に地図に表されるようになりました。
ヨーロッパ人に知られる以前から住んでいた先住民の人々は総称してアボリジナルとかアボリジニーと呼ばれていますが、200以上に及ぶ言語があり、300以上の民族グループがあります。
現在に至るまでにいろいろなことがあり、白人社会にあって自分たちの独自の文化を失ってしまい、今は大半が、政府からの生活援助金を受け、白人支配社会の文化になかなかなじめないために、全般的に、‘アボリジニー’としてバカにされる扱いを受けています。ちなみに、「アボリジニー」という単語は蔑称として受け止められるので、先住民の人々を呼ぶときには、Aboriginal people、そして、その文化を指すときにはAboriginal cultureという言葉を使います。
アボリジナルの人々の中には、非常に優れた灌漑・排水システムを持つ民族があったり、1万人に上る人口を養えるウナギの養殖をしていたコミュニティもありました。そして、アボリジナルの人々は、自然の中に住み、土地をとても大切に扱う人々でした。現在、オーストラリアは土地の開発が進み、土地が荒れ果てています。あとから来た白人たちが牧畜や農業のために木を切り倒し続けてきたからです。
オーストラリアの白人による入植の歴史は、囚人から始まったということは、みなさんご存知だと思います。
1788年にFirst Fleetと呼ばれる11隻の船団がシドニーのボタニー・ベイに入ってきました。乗船していたのは、ほとんどが囚人でした。約780人。
今度の日曜日には、その人たちの名簿や、どうして囚人になったのか、島流しのような格好でここに来て、どのような暮らしをしたのかなどを知ることができる博物館に行きます。
「自分の祖先はその船にいたんだ」という人に何人も出会ったことあります。自分の祖先が囚人だったことを恥とするどころか、最初の入植者であることをとても誇りにしています、オーストラリアの人々は。
その頃のイギリスはとても貧しい人が多く、泥棒や犯罪がたくさん発生していました。犯罪者を閉じ込める充分な場所がなく、アメリカは独立してしまって送れない。そこで、新しく’見つけた’オーストラリアに送ることにしたのです。遠い南の地に流刑された人々の中には、パンを盗んだだけの人もいました。囚人の中には、イギリス人(大半)だけでなく、アイルランド人、スコットランド人なども含まれていました。
それまで、Terra Australis Incognitaと地図に記されていた土地に人が住んでいたことがわかったのですが、そこに住んでいる人たちは文字を持たず、イギリス人が当時持っていた国家だとか法律という概念は持っていませんでした。
でも、アボリジナルの人々は、彼らが自然の中で暮らすために合う決まりごとや法律を持っていました。そして、土地もそれぞれのコミュニティが自分たちの行動範囲とする土地を所有していました。ところが、そういうことは書いてないし、言葉が通じないからイギリス人にはわからず、ここはterra nullius((テラ・ヌリウス:誰もいないところ、誰にも所有されていない土地、あいているところ)と勝手にこの広大な土地を自分たちのものとしてしまったのです。