The Hyde Park Barracks

投稿日:2012年3月23日

昨日からの続きです。

ヨーロッパから白人たちがやってきたオーストラリア・

北アメリカのインディアンや中南米のインディオに起こったような悲惨な運命が、先住民のアボリジナルの人々にも待っていました。

鉄砲なんて見たことも無い人たちが、銃弾で撃ち殺され、何の罪も無いのに、どこかからやって来た人たちに迫害を加えられたのです。たくさんのアボリジナルが殺され(タスマニアに住んでいたアボリジナルの人々は全滅)、生きている人たちは内陸部に追いやられ、それまで平和に住んでいた土地を取り上げられてしまいました。

一方、囚人として送られた人々は、どんな生活をしたのでしょう?

何週間もかかって船で移動する間に、栄誉不足で壊血病にかかったり、途中で死んでしまったり人もたくさんいました。まったく何もない土地に新しい作物を植え、住居を造り、生活の基盤を作り上げていくのですから、新天地での生活は決してらくなものでなかったことは簡単に想像できます。その上に、囚人は自由の無い人たちです。毎日朝から晩まで働かされ、ろくなものも食べず、汚れた衣服を身にまとい、何かすれば、すぐにムチ打ちが待っているという生活でした。

囚人たちは、植民地の開拓、そして、公共の建物や道路など町造りの重要な労働力となりました。また、大英帝国の役人の家のための仕事をする人もいました。囚人の約5人に一人が女の人でした。織物工場で仕事をしたり、役人の家のメイドとして雇用されました。でも、仕事がなく、売春をしたり、ひどい扱いを受けた人たちもたくさんあったようです。

シドニーの観光地ロックスは、最初に囚人たちが仕事をした場所のひとつです。Argyle(アーガイル)という通りの岩は、囚人たちが削ったものですが、その苦労が充分に感じ取れます。

日曜日に最初の訪問するThe Hyde Park Barracksは、そんな囚人たちの様子がよくわかる資料が残されている博物館です。

その内容は、明日に。

以下は、ユリエさんからの寄稿です。

「こんにちは!

オーストラリアに来て、昨日で二ヶ月が経ちました。

私は、SRCのメンバーになり、3月19・20日にSRCキャンプに行ってきました。SRCとは日本で言う生徒会のことです。
キャンプと言っても主にミーティングやディスカッションをして学校のことについて話し合いました。

そこで感じたことは、自分の英語力の無さです・・・
特にスピーキング力です。話し合っていることが分かっても自信も単語力もなく、何も発言することができませんでした。

SRCのキャンプを通してよかったことは、とても仲のよい友達ができたことです♪
その友達とはハローの挨拶だけでなく、相談を聞いてもらったり、楽しく会話をしたりしています!

6月にあるURA フォーラムのディスカッションでは、SRCキャンプの体験をいかし、自分の意見をはっきりと発言したいと思っているのでこれからもっとたくさん英語を話し、スピーキング力を上げたいと思います!」 by Yurie

赤ちゃんと同じで、聞くことがわかるようになってくれば、話せるようになるのは、そう遠いことではありません。

 

 

 

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