母であること

投稿日:2012年5月12日

明日は母の日。

日本でも母の日は、大きな行事なのでしょうが、オーストラリアでは、とても大きな行事です。

留学している生徒たちには、お母さんと呼ぶ人が新しくもう一人増えました。

2週間ほど前から、母の日にどうしようと考えていたようです。凝ったアルバムを作成している生徒、日本食を作ってあげようと献立を考え、日本のお母さんに(?)その材料を送ってと頼んだ生徒、友達と共同でパーティを計画している生徒、前日に仕入れたら花束を見つからないようにどこに保存したらいいのかなどと、みんな、いろいろな案を練っているようです。

特に男の子たちが真剣に考えている様子は、とてもかわいいものです。

「母の日」のこちらでの通常のパターンは、ママは、朝ゆっくりと休みます。子どもたちとパパが奮闘して朝ごはんを作り、ベッドまで運びます。ママは、ベッドの上でゆっくりと朝食を。

その後は、ドライブに出たり、ビーチでピクニックをしたり、近しい友達のファミリーと一緒にランチをしたり、子どもたちやパパからのプレゼントを開いたり・・・ レストランや観劇に出かけたり、家族からの特別なプレゼントとして旅行に出たりと家族によってそれぞれです。夜は、多くの家がBBQ。

日本にいらっしゃるお母様方には、ちょっと寂しいことですが、来年、おつりがくるくらい大事にしてもらえる企画がありますよう。

留学し、よそのお家にお世話になるようになって初めて、子どもたちの心に、日本の親御さんに対する感謝の気持ちが沸々と湧いてきます。自分がいかに甘えていたか、どれほど、お父さんお母さんに頼っていたか、どれほど大事にされていたか、初めて認識するようになります。

素直に「ありがとう」と言える生徒もいれば、その「ありがとう」がなかなか出せない生徒もいます。でも、みな、一応に、感謝の気持ちは抱いています。

母であることは、女性の特権です。

子どもの笑顔があれば、母の心は穏やかです。

子どもが幸せであれば、母の心も幸せです。

子どもが悲しんでいれば、母の心は、その何十倍も痛みます。

遠くからこの1年を見守ってみえるお母様方は、遠くに手離してしまった子どもの成長を一喜一憂しながら見守り、毎日祈ってみえることでしょう。

この1年は、とてつもなく貴重なものです。子どものその後の人生に大きな影響を持つようになる1年です。ご自分がどんなに寂しい思いをされても、その貴重な1年を子どもに贈られた母心。それは、どんなに勇気があっても、子どもへの大きな大きな愛情と信頼がなければできないことです。

それをあえて敢行されたお母様がたに、心からの賛辞と敬意を表します。

子どもたちは、どんなに感謝しても感謝しきれない贈物を授かったのです。今も感謝しています。でも、今の感謝は、親がしてくれたことに対する物理的なレベルのものです。この1年がどんな意味を持つようになるかは、時が経ち、もっと成長してからでないと本当の理解はできません。でも、それでもいいのです。いつか、きっとわかるでしょうし、感謝はもっとずっと深い精神的なものとなっていきます。

子育ては、簡単ではありません。食べさせ、洋服を与え、教育の機会を与えるだけではなく、一人の人間の人格を培わなければならないからです。

それ故に、子育ては、何にもまさる崇高なものです。

子どもを育てる喜びは、ほかに比較できるものはなく、それは母となった人の特権です。

遠くに離れていても、明日の「母の日」、皆様のお心が、母としての幸せと誇りに満たされるものでありますよう・・・

 

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