「完璧」という罠
投稿日:2012年6月30日
前半期の成績が出ました。
その優秀さに対してDHSの校長先生からお褒めの手紙をいただいた生徒。
自らが目指したレベルに達成して十分に満足している生徒。
もうちょっとがんばれたかなと少し後悔しながらも、来学期に闘志を燃やしている生徒。
こんなはずではなかったと首をかしげる生徒。
思ったよりも伸び率が低く、がっかりしている生徒。
がんばったのに思った結果にならず自分に失望してしまった生徒。
どうせこんなものだろうと思っていた通りだと既に半分あきらめてしまっている生徒。
反応は本当にマチマチです。周囲からみて本当にがんばっている生徒がその努力に相当しない伸びだった場合には、成績というもので判断されてしまうことを本当に理不尽に思います。
DHSの選択教科は、成績が良ければ万々歳。でも、成績がそれほどでなくても、担当の先生のコメントが良ければ、自分のできばえを誇りに思っていいのです。努力と学習の良い姿勢がなければ、先生の良いコメントはいただくことができません。
ESLに関しては、各授業のほかに、英語を使う技術として4つの分野があります。各分野で伸びていることが大事です。本を読まなければReadingの力は伸びません。人々の話を日々集中して聞いていなければListening力は伸びません。
英語を自分が毎日使わなければSpeaking力は伸びません。書く練習を積まなければ、Writingの力は付きません。
少 なくは無い数のホストが、「自分から話しかけてくることはない」「ほとんど話をしない」「質問しても、yesとかnoとか、goodとかokという単語し か戻ってこない」「静か」「どうしたらもっと話すようになるだろうか」「このままでは英語は伸びない」といったコメントを発します。
生徒になぜ話さないのかと尋ねると、「何を話していいかわからない」という答えもありますが、圧倒的に多いのは「間違うかもしれないから」「完璧じゃないから」という答えです。
「完璧じゃない」???!!! だから、ここに英語を習いに来たのではないのですか。完璧なら、あえてここに来る必要はないでしょう。何を考えているの!! と言いたくなります。
完 璧なんて、いつまで経っても来ません。だって、完璧なんて存在しないからです。自分が本当に望むこと、得たいことに完璧に行き着いたら、それは、完璧とそ の瞬間に呼べるかもしれません。でも、次の瞬間には、もうその上の、次に目指す像が浮かび、そうなれば、たった今完璧だったと思えたものは、もう完璧では なくなります。
人間は、自分の頭の中で、何か、「完璧」だと思える像を作り出します。ファッションでも、顔でも、体の形でも、脚の長さで も、頭の良さでも、大抵は、誰か別の人を見て、あるいは、雑誌で写真を見て憧れ、崇め奉り、それだけならまだしも、その上に、自分はそうでないと、自分を 引き落とします。
なんて愚かなことをするのでしょう。でも、するのです。誰もが。
学習において完璧ってなんでしょう? そんなものはありません。でも、生徒は、「文法が完璧なら話せる」「文法が完璧になら話す勇気が出る」といいます。何なのでしょう、この完璧でないから話せないという理屈は。
そうなると悪循環の鎖を自分に巻きつけることになります。間違ったら困るから話さない。話さないからいつまで経っても話す自信も勇気もない。話さないから上手にならない。上手にならないから自信がない。自信がないから話す勇気を奮い起こせない。
目標は、話せるようになることです。それなのに、「完璧」を求めて話せない。だから、いつまで経っても話せるようにならない。
半分が過ぎてまだ授業以外の空間では英語をほとんど口にしていない人。「完璧」という概念は捨てるべきです。完璧を求めるあまり、何も得ない結果になってしまうからです。
間違っても誰も笑ったりしない。あなた自身がいやだと思っているだけのこと。ほかは誰も間違ったことなど気にしない。むしろ、一生懸命にしようとしている姿勢を喜びをもって受け止めてくださるはずです。
完璧という像に惑わされて、自分の目標に達成することを忘れないように。目標に達成するためには、完璧と呼ぶ自分の像から遥かにかけ離れていても、ミスをしても、まずは、実践をすることです。
英語には、”Practice makes perfect” という表現があります。完璧は、練習を積んで始めて成るものだという意味です。
完璧な文法が使えないから英語を使わないというのであれば、あなたの「英語に上手になりたい」という願いは決して成就しないでしょう。
目標を達成するためにミスをしても話す練習をするか。それとも、
ミスを怖れて最後まで話をせず不燃焼のままで帰国するか。
あなたならどちらを選択しますか?