「完璧」という罠 2

投稿日:2012年7月1日

URA Forumのテーマのひとつは、「社会的な期待」というものでした。

私たちは、社会が課す常識やルール、慣例や習慣によって、ある程度どのように振舞うべきかを小さな時から教えられます。そこに秩序がないと社会全体の秩序が乱れるからです。

世界でも稀な秩序の正しさを持つのが日本の社会です。それがどれだけすごいものかは、震災後に世界の賞賛を浴びたことで証明されました。でもその代償は、日本社会が違いを受け入れることが極めて難しいということです。

ソマリアやスーダンのように社会的な秩序を失った国は、内戦や紛争や無政府状態に陥り人々の暮らしは成り立たなくなります。

西洋の国々のように歴史上いろいろな混合があったところは、たくさんの違いを受け入れながらも共通の理解や法を持つことで秩序を保っています。

社 会が求める秩序が高校生の行動のガイドラインであり、日本の場合は、枠に押し込むことがある程度徹底しているので、日本人の生徒の集団は、例外があったと しても、通常海外においてとてもお行儀よく映ります。そして、そのまま大きくなり、枠の中に納まったまま社会人となり生涯を終えます。それが、どんなに閉 塞的であっても、それが当たり前とされます。

留学する高校生は、その枠から一度飛び出します。飛び出さないと留学のメリットを十分に受ける ことができないからです。そして、現地の生活に適応できないからです。ここでの「枠」というのは、こうあるべきと今まで教わり、自分の中で組み立ててきた イメージです。「完璧」というイメージも、周囲の期待や学校が求めるもの、メディアを通して受ける印象などから、自らが作り上げてきたものです。その完璧 像があまりにも強いために、そうでない自分を肯定できずに動けなくなってしまうのです。

なんて哀しいことでしょう。

本当にコ ミュニケーションをしたいのであれば、英語の文法などどうでもいいのです。現地生まれの人々だって、「完璧」な文法など使っているわけではありません。極 めて砕けた英語だってあるのです。でも、誰も文法なんて気にしません。私たちが、日本語を話す際に文法など気にしないように。

「完璧ではな い」「間違っているかもしれない」ということにそこまで支配されてしまうことは、本当に恐ろしいことです。そんなふうに小さな枠に自分を囲ってしまうなん て、そして、そこから抜け出せないなんて・・・・ それほどに、私たちは、「完璧」という虚像に鎖でしばりつけられてしまっているのでしょうか。

“Shoot for the Moon. Even if you miss, you’ll land among the Stars”. とよく知られた言葉があります。Les Brownという人が、理想は高く掲げよと鼓舞するために使った言葉とされています。

「月が欲しいなら、月をめざせ。仮に月に行きつけなかったとしても星には届くよ」という意味で、何かが欲しければ動け。動けば何かを得ることができる。仮にそれが自分が求めていたものから少し違っていたとしても。動かなければ得られるものは何もない、ということです。

「完璧でなきゃいけない」「期待に応えなければならない」という呪縛から解放されるべきです。

そして、英語という言語を使うことの楽しさを満喫することです。

 

 

 

 

 

 

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