Chris Stevens氏の生き方
投稿日:2012年9月23日
昨日に続き、今日もシドニーはすばらしい晴天です。
Beach Partyは、大成功だったようです。
自分たちで計画し、準備し、シドニーの美しい大自然を満喫し、BBQを楽しみ、友達との時間を大切し、青春が凝縮された瞬間を思い出のページにぎっしりと詰め込んだことでしょう。みんな、未来のどこかで燃える活力となるものです。
こんなすてきな1日も、シドニーが極めて平和であり、安全な場所だからこそ、何の心配もなく心から楽しめるから持てるものです。
ニュースを見るたびに大きな動揺を感じるほどに、世界のいたるところで秩序が失われていっています。預言者モハメッドが冒涜されたからと暴徒化した人々の怒りは、見方を変えれば、2000年の歴史の中で起こったきたことの続きの一面であり、また、ここ数世紀にわたる軍事力や経済力などで押さえつけられていたものが、1つのフィルムをきっかけに爆発したものだと言えるのでしょうが、オランダで、ある誕生日のパーティが3000人もの若者たちの集合となり静かな町が損傷されゴミだらけになったというようなニュースが流れると、人間の脆さを直撃する現在の情報世界の恐ろしさを感じざるを得ません。
怒りの積み重ねがもうガマンならないところまで来ているのかもしれませんが、それに躍らされてしまう人間、そして、それに対してまた応答とひどいコメントを返して油を注ぐ人々。
この秩序が失われていく過程を見ていると、核戦争による国家間の戦争以前に、人間の自然災害とのたたかい、宗教間のもつれ、自国の国家や他国に対する社会の中の鬱憤と怒りの爆発などにより、コミュニティや社会や国家の存在そのものが徐々に内部から崩壊していってしまうのではないかと危惧されます。実際に政権が崩壊した例はアラブの春では続出しました。シリアでは内戦が続いています。そうした混乱の結果が長い目で見て、最終的に人々の福利につながるものであるのなら、そこにも意味はあるのでしょうが、他国から崩壊を強いられたイラクの復興を見ても、崩壊した国家が秩序を取り戻すことは想像を絶するほどに大変なものであり、自国民の意思であったアラブの春も、どこまで真に国民の意思を反映する結果になるのかはまったく未知の状態だと言えます。
そういう状態に心が揺すられる一方で、日本やオーストラリアのような、極めて安全で平和で秩序ある社会に住んでいることに心底感謝するこの頃です。特に、日本から留学生を招き入れるICETにとり、ここでの治安や安全性は絶対的なものでなくてはならず、平和的な「共生のための基盤」を堅持するオーストラリアの国家と国民全体の強い姿勢は、本当に心強くありがたいものです。
こんな一連の流れの中で、リビアで暴徒化した人々に命を奪われてしまったアメリカの大使 Chris Stevens氏の生き方が光ります。
アメリカに生まれ、カリフォルニアで大学を終え、Peace Corps(ピースコー)に参加しました。ピースコ-は、日本の青年海外協力隊に似たアメリカの組織で、ボランティアで活動する人々、特に若者たちが参加します。スティーブンス氏は、モロッコの山間部で英語の教師として活動し、中東や北アフリカの文化にすっかりと魅せられ、その後の人生の大半を中東で送ることになったようです。
カダフィ政権の時代から、アメリカとリビアの関係をよくしようと努め、政権崩壊後は、アメリカの大使としてこの国の復興と繁栄に尽力し、特に、医療や衛生環境の整備、技術向上、そして、教育の分野に力を入れ、アメリカへの技術向上のための留学生の派遣はわずかの期間に1700人にものぼっているとのことです。
リビアだけでなくアラブ諸国に深い想いを抱き、アメリカとの関係を改善し、大きな文化・技術貢献のために尽力していた人物が、その理由が何であれ暴力でしか怒りを表せない人々により命を奪われてしまったことに深い痛みと悲しみを感じます。アメリカという巨大権力の下に派遣された人物が、その権力ゆえに嫌悪する人々に襲撃され、その権力に護ってもらい切れなかったことは、その大きな波に同じ側にいても翻弄されてしまう運命を描き出していますが、でも、国家の権力とか面子とか利益といったことのレベルではなく、自分の信ずるところ、そして、人類の幸せに志を置き、本当に命を捧げてしまったこの人物の生き方に心からの敬意を表します。