「和解の海」

投稿日:2012年11月27日

「英霊に導かれて」の続きです。

潜水艦が沈められた海の崖の上の小さな小道に、碑は、立てられていました。マーガレットさんのお嬢さんのトリー(ヴィクトリアの愛称)さんが小道まで降りてきてくださいました。

碑の前で交代にお参りをさせていただき、その後、急な石段を登って、マーガレットさんのお家のバルコニーにお邪魔しました。 そこからの眺めは、まさに絶景でした。

マーガレットさんは、とても暖かなすてきな笑顔で迎えてくださいました。トリーさんは、冷たい飲み物とティーとアーモンド・クッキーを出してくださり、思わぬおもてなしを受けました。

 

土屋氏とマーガレットさんは6年ぶりの再会に、お話が進みます。マーガレットさんのご主人のお話や、日本の潜水艦が沈没した夜のことなど。潜水艦が魚雷にあてられた際の衝撃は極めて大きなもので、バルコニーのレンガの壁には、その時に入ったというヒビがそのまま残っていました。横に揺すられたマーガレットさんのお兄さんは、ベッドから放り出されたとのこと。

そのうちに、「この前のインタビューが役に立ちましたか」という質問がありました。

そこで取り出されたのが、「和解の海」という本でした。6年前の取材の後、土屋氏は、潜水艦と共に命をシドニーの海に落とした海軍兵の日本の遺族を訪問し、中には、その方たちのご母堂にも会われ、いろいろなお話を聞かれ、その史実と人々の心情をまとめたものだということです。その中には、マーガレットさんのお話も載っていました。当時の写真を本の中に見つけられ、マーガレットさんも喜んでおられました。

マーガレットさんのご主人がPNG (パプア・ニュー・ニギア)生まれで、戦争が勃発した際にオーストラリアの学校に送られ戦争に行くことを免れたこと、結婚後、マーガレットさんもPNGに住まれたこと、小さな島でプランテーションを経営されたことなど、いろいろなお話をしてくださいました。

その中に、頻繁に出てくる名前がありました。「モンテビデオまああるうう」という名前です。

説明を求めたところ、これは、「モンテビデオ丸」という日本軍の船で、そこには、PNGの民間人と日本軍の捕虜となったアメリカやオーストラリアの兵士たちが千人以上も乗っていて、日本に向かう途中、アメリカの魚雷によって撃沈。船には、POWという戦争捕虜が乗船している目印がなかったために、軍船として狙われてしまったのだそうです。

実は、マーガレットさんのご主人のお父さんもこの船の中で犠牲になったのではないかという疑いがあり、いろいろ調べても乗船名簿がわからず、トリーさんのお姉さんが、遂に日本まで出向いて乗船名簿を捜し求められたようです。 それでも埒が明かず、ここで、土屋氏に白羽の矢が向きました。乗船名簿をなんとか入手して欲しいという懇願でした。

 土屋氏にまた新しい使命が生まれた旅となりました。

 帰り道は、ハーバーブリッジに事故あり、あまりの渋滞さに、フェリーでお帰りいただくほうが早いということになりました。その日の夕日は、また格別に美しく、マンリービーチには、夕日を眺める人々がたくさん集まっていました。そんな夕日を眺めながらまるでオペラハウスに吸い込まれていくかのような旅は、最高の思い出となるものでしょう。

まさに英霊の導きとしか思えない体験の詰まった日となりました。

 

 

“「和解の海」” へのコメント2件)

  • 武田 由美

    2012年12月7日

    このような体験をご一緒にさせていただき、また夕暮れのクルーズのオマケ付きまで・・・まるであの時が夢のひとときのようです。歴史的瞬間に立たせていただいたような気分でした、本当にありがとうございました。

    返信
    • 不思議なことが連続した時間でしたね。せっかくお目にかかれましたのに、なかなかお話する時間も機会もなかったことが残念ですが、でも、時間の流れをご一緒させていただいたことに深い意味を感じます。こちらこそ、ありがとうございました。

      返信

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