Ms. Moxham

投稿日:2012年12月10日

ブラームスの「ドイツ・レクイエム」を聞いてきました。

このレクイエムは、ブラームスが師として仰ぎ慕っていたクララ・シューマンのために作曲したものです。レクイエムらくしく、死を悼み鎮魂の祈りを感じさせる部分があるものの、全体としては、むしろ、微風に乗せて愛を届けるような美しい調べでした。指揮者は指揮台の上でニコニコと体全体を柔らかく動かし、まるで躍っているかのようでした。

シドニー大学の卒業生によるコーラスと室内管弦楽団の演奏によるもので、シドニー大学構内の美しいホールで演奏されました。私が師として仰ぐ、そして、ICETとDHSとのプログラム提携を可能としてくださったMs. Moxham(モクサム)にお招きいただきました。

モクサム先生は、現在は、Fort Street High Schoolというシドニーで最古の、そして、この国を形作る重要な人物たちを多く送り出した由緒ある学校の校長先生をされています。

たまたまのことだったのですが、このコンサートは絶好のタイミングでした。

前夜でも翌日の夜でも行くことは叶わなかったのですが、その夜だったから可能となった時間でした。

ここ数週間、ただただGo Go Goの忙しい日々であり、その最後に1年組の生徒たちを送り出し、ぽっかりと心に穴があいたままでしたが、静かに美しい旋律の上に想いを漂わせることができた1時間余は、気持ちを整理し、視点を11年生と12年生に、そして、来年新しく参加する生徒たちに向けて切り替えるのに願っても無い時間となりました。

また、多くの芸術家がそうであるように、美しいものを生み出す裏には、複雑な苦悩と生き様があるのですが、このような美しい曲を生み出したブラームスとシューマン夫妻の様々な苦悩のことを想いながら、矛盾だらけの世界や社会や教育界の中で、教育の本来の意味を考え、これからの時代に生きる若者にとって最善の土台となるものを培うための実践を貫く勇気を鼓舞される時間ともなりました。

私がモクサム先生を師として仰ぐのは、先生の立派な業績や様々な教育への貢献に対する尊敬もありますが、それ以上に、あるできごとに基づいたものです。

ICETのプログラムがまだDHSで交換留学として実施されていた時のことです。あるパーティで日本人の生徒(仮にAさんとしましょう)がドレスの背中に水をかけられるという事件が起きました。水をかけた生徒は、すでに別の学校を追い出され、DHSに転校してきたばかりの生徒でした。事情は複雑でヨーロッパから移民してきて、家庭に複雑な事情があり、英語が話せず、目に障害のあるおばあちゃんに育てられていました。おとなしい日本人の生徒がかっこうの獲物になってしまったのでしょう。

モクサム校長先生は、その生徒を謝らせるので、Aさんにきて欲しいということだったのですが、Aさんは、「もういい、謝ってもらわなくてもかまわない、その子に会いたくない」といいます。それに対して、モクサム先生は、「あやまってもらう勇気を持って欲しい。謝らないと彼は、自分がしたことの意味がわからない。そして、あなたも謝ってもらうことで、後になって怒りを持たないで済むから」というアドバイスを出されました。

謝り、謝られ、通常はそこでおしまいです。当時、NSW州では、学校でのいじめに対するキャンペーンが実施されていました。DHSには、生徒たちの委員会が設立され、委員会のメンバーが学校内でいじめが起こらないため、そして、起こったらそれに対処するためにいろいろな会合で積極的に働きかけていました。そうしたメンバーに選ばれるのは、学校内のリーダーたちで、他の学校を退学になった生徒が選ばれるなどまさに「想定外」のことでした。

モクサム校長先生は、その生徒をそのメンバーとし、「人に危害を加えることは心の貧しさを表すものであり、人に優しくすることこそが社会の役に立つこと、それを自分で学校の中で発信し続け、自ら実行せよ」と言い渡されたのです。

最初は先生たちを梃子摺らせるだけだった生徒が、数年後には、先生たちからも一目置かれる生徒になりました。教育とはかくある物という模範を見せてくださったのがモクサム先生でした。

ルールを守らなければ通常は罰が伴います。従って、生徒たちは、なぜ、そのルールがあるのかあまり疑問を持たないまま、罰をもらいたくないからルールを破らない、ルールがあるからそれをしないということを行動基準としています。そして、破れば罰を適応することが当たり前となります。ルールを破る生徒は、罰があっても、ルールを破ります。その生徒には、罰をもらうことなど意味をなさないほどに、もっと深刻なニーズが自分の中に生じているからです。

ルールがあるからではなく、ルールがあってもなくても、自分はこうすることが正しい、善いと思う。だから、そうする。自分がこうふるまうことで、自分にもいい、そして、周りの人々にもいい、という考え方ができるようになることがICETのプログラムがめざすことです。ルールは社会の指針であるので、それをよく知り、それを上手に使うことが大事です。簡単そうで実はとても難しいのです。社会全体が、ルールを中心にして考えることに慣れすぎてしまっているからです。

軸を変えることの難しさのひとつの例です。モクサム先生にお逢いしたついでに、ICETの軸となっているひとつの方針についてのお話をさせていただきました。

 

 

 

 

 

 

 

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