クリスマス

投稿日:2012年12月25日

日本は、ホワイト・クリスマスになりましたね。

街はイルミネーションで飾られ、ショッピングセンターはさまざまな物に溢れ、人々で賑わっていることでしょう。こちらもそんな感じです。人々の家もサンタやトナカイやツリーなどがさまざまな色の電球できれいに浮き彫りにされるところも多く、人々の気持ちが、クリスマスという行事に向けられ高揚しています。

今日は一転して、店という店はすべて閉店となり、観光地とビーチ以外は、ひっそりと静まり返ります。

オーストラリアでは、今日は、家族が集まり、ランチやディナーを一緒に楽しみ、プレゼントの交換をする日です。この日のためにたくさんのご馳走を作り、プレゼントを用意し、心待ちにしています。それだけに、その一方で、家族がいない人たち、病気や死別やその他いろいろな理由で家族と一緒に過ごせない人々にとっては、悲しみや寂しさが倍増される時でもあります。

家族のいない子どもたちへのチャリティ活動も盛んに行われています。

国民的、社会的行事とは、不思議なものです。自然にその中に巻き込まれ、その中にいることでコミュニティの一員として感じられる一方、それに乗っていないと疎外感や孤独感の中に取り残されてしまったり、その中にいないために違いをあえて強調するようなこともあります。オーストラリアのように他民族が住む国では、そういう「違い」に対する意識がより鮮明に浮き出るのかもしれません。

オーストラリアでは、「政治的に正しい言葉」として、いろいろな用語に制限がかかります。少数派を刺激するような言葉、人種差別に結びつくような言葉、宗教的な違いを表現するような言葉は、慎むことが求められます。

たとえば、A Merry Christmas という言葉です。ひとつの宗教だけを代表するものなので、使わないほうがいい、使ってはいけないという議論のもとに、このシーズンのカードには、A Merry Chrhismas and a Happy New Yearという言葉の替わりに、A festive Seasonという言葉が使われるようになっています。自作のカードを送ってくださる方々の中にも、A Merry Christmasという言葉があまり見られなくなってきています。

こんなふうに言語というものは変わっていくのだなと思う一方、そこまで、しなければいけないものなのかなとも思います。

もともとの意義を感じ祝うわけではなく、商業的な煽りや周りの人々の動きに同調しながら、サンタさん、クリスマス・ケーキ、クリスマス・キャロル、イルミネーション、クリスマス・プレゼントといったものがもたらす愉しさ、人々とのつながりを感じ、恋をしている人々ならばことさらにロマンチックな雰囲気に酔う時くらいの受け止め方しかしていません。

キリストの生誕を宗教的に祝う意義はわかっているつもりでいても、実際には、言葉の背景にある繊細さを自分が感じ取っていないということなのかもしれません。A Merry Christmasという言葉を簡単に習慣として使ってきていた自分の中に、使う前に一度立ち止まり、誰に対して発しているのか、どういう意味で発しているのかを考える自分が出てきていることは確かです。

 そんな中で、心を打たれる話がありました。2002年にバリ島で起きた爆破テロ事件でオーストラリアは88人の若者の命を失いました。息子を失ったお父さんのこの10年の心のバトルを語った報道がありました。どうしても現実を受け止められない自分を常に鼓舞し激励し、二人の精神的なアンカーとなったのは自分ではなく奥さんだったこと。ここ10年間どうしようもない心の空白を埋めるために、息子が所属していたラグビーチームの面倒を見ることにし、そこにいる若者たちを自分の息子と思って接してきたこと。それが、生きる力を与えてくれたこと。そして、最後に言ってみえた言葉が、非常に印象的でした。

「今、毎朝、息子のことを思っては、”I love you”という言葉を投げかけている。彼が生きている間に、なぜ、毎日、そう伝えてやらなかった。それが悔やまれる」

そうですね、クリスマスの意味は、多分、ここにあるのでしょう。クリスマスという特別な時だからではなく、毎日の生活の中で、どれほどに家族の一人一人を、そして、周りにいる人々を大事にしているか、ということを思い出させてくれるものなのでしょう。

日本語の中には、”I lovel you.”に相当する言語が、毎日の生活の習慣にありません。「愛している」「大好き」「大切に思う」など言葉としては存在しても、それを面と向かって相手に言う習慣がないから、こそばゆくてなかなか言う瞬間がみつからないのでしょう。直接に言いにくければ、小さなカードに書いてもいいでしょう。最初は、ふざけて言ってみるような感覚でもいいでしょう。大事なことは、自分が大切に思っている、一緒にいることに感謝している、離れていても想いを馳せているんだよということを伝えること、伝えてもらうことです。

身近なところでは、ICET Familyの強い絆を感じる瞬間が昨日ありました。約20年前に留学した卒業生とその時のホストシスターとの友情の深さに大きな感銘を受けました。

卒業生とホストシスターは、互いの結婚式に呼び合ったり、特別な機会があれば海を越えて互いの家を訪問したりと、その友情は、ずっと続いています。ホストシスターは、現在二番目の赤ちゃんが4月に産まれる身重ですが、病気で長期入院を余儀なくされている日本の「シスター」を見舞うために、1月の仕事の休暇中に日本に行く飛行機の手配を今しているということですが、その時期は、本当に難しいことでしょう。

でも、その意気、気持ちに、国や文化を越えて、こんなにも深い人間同士の結びつきができることに深く感動しました。

最高のクリスマス・プレゼントは、何か? 現在留学中の甥との写真だろうということになり、急遽、お家を訪問させていただき撮った写真です。

 みんなの気持ちが繋がっていることを感じ、1日も早く回復に向かう元気となるといいですね。

 ICETには、お兄ちゃんやお姉ちゃんの後に続いて参加してくださる生徒たちが多く、送ってくださる親御さんがたに改めて感謝申しあげます。

同時に、一人一人の留学体験は、それぞれにまったく違う新たな体験であり、それは、家族の中にICETとのつながりがまったくなく、新しく参加してみえる生徒さんにも、それぞれの体験が待っているということが同様に言えます。

留学前に自分が築いている人々との絆、そして、留学中に新しく築いていく絆、どの絆も、みな、一人一人の人生を豊かにするためにとても大事なものです。与えられるものを待つのではなく、まずは、自分から、暖かい言葉、感謝の言葉、相手を大切にしていることがわかる言葉、愛していることを伝える言葉を発していきましょう。もちろん、口先だけでなく、それに伴う行動も。もう実践している人たち、多いに結構。でも、まだもっとできることがあるかもしれません。実践の無い人たち、今日の日を機会に、早速と実践していきましょう。

 

 

 

 

 

 

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