ダライ・ラマ

投稿日:2013年6月16日

ダライ・ラマのお話を拝聴してきました。

今日がシドニーでの3日目の滞在。日々、何回かいろいろな人々に向けてのお話をされているようです。

今朝は、シドニーに居住する中国の人々に向けてのお話があったとのこと。でも、そこで中国の批判をするのでもなく、チベットの苦境や自治奪還を訴えるのでもなく、宗教や政治を越えての人々の共存、心のあり方、生き方などについてのお話があったと聞きました。そこがダライ・ラマがダライ・ラマである所以でもあるのでしょう。

私が聞かせていただいたのは、シドニーの一般市民に向けてのお話です。会場には、7千人とも1万人とも入っていたということです。本は、何冊か読んでいますが、実際に直接にお話を聞かせていただくのは、今日が初めてです。

舞台の上には、椅子があったのですが、「話しは立ってするほうがいい」と、1時間立ちっ放しでした。秘書兼通訳のような方が常に横におられ、ダライ・ラマが英語の単語を尋ねらた時に答えたり、もっと詳しい説明を加えたりするという形で、そのやりとりがとても微笑ましいもので、ユーモラスな瞬間ともなっていました。

次のようなことがダライ・ラマのお話の要点でした。

* 今の世界のあり方は、このままでは続かない。人口が70億になる日はもうそう遠くない。今のような経済発展には限界があり、消費し続ける生活を維持するために資源を調達することも限界があり、私たちの生活様式を変えていくことを真剣に考えなければならない。

* マルクスが唱えた理論は決して間違っていない。問題は、それを動かす人々、機関、組織であって、権力を行使することによって、理論そのものまでもが批判が受け、拒絶されるようになった。元型そのものが問題ではなく、それを使う人の権力欲によっていいものがそうでなくなってしまうことは、マルクスに限らず、宗教もその他の理論も同じことが起こる。

* 人間の世界は、それぞれに異なる宗教の教えや国という単位の政治で動かされるものではなく、宗教や国の政治が世界・地球・人類に軸をおいて存続と共生を考えることが大事。それが、人類と地球を存続させる唯一の方法。

* 動物も赤ちゃんも産まれた瞬間からつながり、一緒にいること、共感の世界に包まれたい本能を持っていることは生物学的に証明されている。人間は、コミュニティの中に生きている動物で、誰も一人では存在できない。その愛や共感を持って生きていけば、コミュニティも愛と共感に満ち、それが、もっと広い社会、そして、国全体に広がっていったら、いい国になる。それがもっと広がれば世界は、もっといいところになる。

 * それを可能にするのは、まずは、一人ひとりの内面から。一人ひとりの内面が平和で、目的や意味の感じられれる生き方をし、共感に満ちたものであれば、そんな人々が持つ他の人々との関係はいいものとなる。それが広がったらいいコミュニティとなる。それが世界に広がったら、世界は、もっといいところになる。

 * そこに嫉妬や怒りのような気持ちが入ってくると、悪いことがいろいろと起こる。そうならないために、一人ひとりが内面の充実を図ることが大事であり、温かなコミュニティの交流が必要となる。

* 外面だけで惹かれて一緒になった関係には、やがて難しい局面が訪れてくるかもしれない。でも、内面を認め合い、理解し合い、その内面に惹かれた関係は、長い間良いものとして続くだろう。

以上の他にもまだまだたくさんのお話があったのですが、強調されたことは、一人ひとりの生き方、心のあり方が、世界全体に影響を持つのだから、世界をよくするためには、私たち一人ひとりが、自分の心を平穏に保てるようなコントロールを持つことが必要、そして、意味と目的のある人生を送ることが大事だ、ということでした。

ダライ・ラマの怒りの受け止め役は、秘書兼通訳の方だと笑っておられましたが、ダライ・ラマでも、そうした否定的な気持ちを常にコントロールできるわけではなく、「私は、身体的にも、精神的にも、みなさんとまったく同じ人間です。人類の一人です。」と言ってみえました。国を追われ、チベットの人々の平和と幸せを常に祈ってみえる方の苦難と苦渋の精神生活が、この言葉の中に含まれているように感じられました。

マハトマ・ガンジーとキング牧師を深く尊敬している、ということでした。ガンジーもキング牧師も非暴力による平和運動の指導者でした。二人とも凶弾に倒れています。どちらも、それでは生ぬるいという急進派の人々によってです。

ダライ・ラマの平和と真実と愛を訴える彼の力の大きさは、世界の多くの人々の心を動かし、彼に続く人々もたくさんいろいろなところにいます。そんな彼を脅威とする権力者たちもいるのでしょう。今日のセキュリティの凄さも半端ではありませんでした。

「あと、5年、10年は、大丈夫。私がすることは話すことだけだから、車椅子に座っていてもできるからね。」と最後に笑っておられました。世界の人々を魅了する優しい笑顔で。

 

コメントをどうぞ

お名前(必須)

メールアドレス(必須)

URL

ブログトップへ戻る