花々が語る時
投稿日:2013年7月30日
学校の周辺に、春の訪れが感じられるようになりました。
校門らしからぬ校門の前には、かわいいミモザが。そして、別の入り口の前には、通りを渡った正面には、見事なマグノリアが。DHSに通う生徒たちは、みな、この花の下か横を通って登下校します。
去年、これからの花の写真を掲載したのが、ついこの間のことのように思われますのに、もう、あれから1年も経ってしまったとは、とても信じられません。
こちらでも、12年生は、日本の大学受験に向けて、毎日、準備で大変な時間を過ごしていますが、去年、この花を眺めて登校していたICETの1年プログラムの生徒たちも、今、日本で、本格的な受験体制に入る時期を迎えています。
留学した生徒たちがみな一様に体験し、一様に述べることなのですが、留学の何が一番大変かは、帰国して、再び、日本の生活に慣れることだと言います。それは、日本の生活がいやとか合わないということではなく、1年全く違う体験から大きく成長した自分を、自分が知っている1年前の状態にフィットさせることが極めて難しいということです。また、周囲の期待値に合う自分を演じなければならないことです。元の枠に戻すことが不可能であるにも関わらず、戻さなければならないプレッシャーがあり、自分も知っているものに戻ろうという本能が働くのでしょう。でも、実際には、その知っているものや状態から遥かに逸脱してしまっている自分を帰国してから初めて発見することになります。
留学中の成長が大きければ大きいほど、その逸脱の度も大きいものです。
それが、成長として認められれば、生徒の誇りは維持され、次の勉学への糧となります。すばらしいエネルギーとなりましょう。
それとは逆に、留学したことをあまり認めてもらえない、そのことに価値を置いてもらえない、と感じてしまう生徒もいます。悲しいことですが、常に留学の成果や意義を周囲から理解してもらえるものとは限りません。
人間は、知らないもの、知らない世界には、好奇心を抱くことはあっても、通常、あまり関心を持つことはありません。想像するのが難しいからです。また、自分に実現の可能性がなければ、関心も引かれないでしょう。そして、知らないものには、価値の置きようがありません。だから、留学したことに関心を持ったり、そこに価値をまったく見いだせない人々も周りにはたくさんいるでしょう。だからといって、それを嘆いたり、自分が得たものの価値を自ら否定してしまっては、次の跳躍ができなくなってしまいます。
留学の日々、知識が、徐々に薄れていくのか、それとも、遠くに去ってしまったことを脳裏や深奥での疼きを感ながらも、それを日々の厳しい勉学の糧にするのかは、生徒次第です。なぜならば、留学した生徒には、どんなすばらしい1年を過ごしたか十分にわかっているはずだからです。周囲の理解がないから、あるいは、あまり価値を置かれていないからと、自分のすばらしい体験の価値を自ら捨ててしまうのではなく、理解を増すために体験のない人々を感化できるだけの力を発揮することが大事です。
それは、とりもなおさず、大きな志を失わず、自分の目標に向かって日々の努力を積んでいくことです。
後数ヶ月で、人生の次の大きなステップの入り口に立つ瞬間がやってきます。今は、それに向けて全力をつぎ込む時です。がんばってください。シドニーから応援しています。