留学の終わりに立つところ
投稿日:2013年9月2日
ある生徒のFBにこんな写真が掲載されていました。
「ああ、なんていい所に立っているのだろう」と感慨深く、早速と、この写真を所望しました。
勝利に向かって歩んでいる、勝利の道を歩んでいる、未来が自分の勝利。その意気、心持ち、誇り、が感じられる写真です。
3年という長きにわたっての留学。その終わりに、確実に勝利の道を歩んでいると感じている。なんてすばらしいことでしょう。
人生には、いくつかの節目があります。学校への入学、卒業は、若者たちにとっては、それぞれが節目です。
留学という大事業。子供だけでなく、親御さんにとっても大きな事業です。留学してくる時には、みな、新たな決意と新たな夢を抱いてきます。留学が1年であろうと、3年であろうと、それが完了した時、誰もが立っていたいところは、この場所、この道です。それを夢見て来るはずです。
でも、この場所に立つためには、それだけの注入が要ります。
1年、3年という長い年月が、ただただ楽しいだけで過ぎるわけがありません。両親のもとを離れ、異国で、最初はわけのわからない言葉に囲まれ、知らない人々の家庭にお世話になり、そこで娘、息子となることを期待され、常に好きなものが食べられるわけではなく、日本とはまったく違う授業の中に放り込まれ、学習の責任を課せられ、たくさんの宿題やアサインメントに追われる生活。テストに結果を出せねばならず、常に「期待」というプレッシャーの下にあり、大きな投資に十分に応えられるだけのものを自分が身に付けているかどうか、留学で得たものが将来どんなふうに役に立つのだろうという不安もある。
そんな生活の中で、なんで留学なんてしたんだろうと思うこともあるでしょう。日本のお母さんのおいしい手料理がたまらなく恋しくなることもあるでしょう。日本語だけでの環境で過ごしてみたいと思うこともあるでしょう。便利で整っていてなんでも手に入る日本を懐かしく思うこともあるでしょう。日本の友達に無性に会いたい時もあるでしょう。宿題から解放されたいと思うこともあるでしょう。
それでも、1日1日を大事にし、毎日の中に、楽しさと充実さを作り出しながら、ひたすら歩んできた留学生活。毎日の足下をしっかりと固め、踏んできた留学生活。友達と支え合いながら、がんばってきた留学生活。どんなに苦しいと思っても、そこをくぐり抜けてきたからこそ、ここに立っているのです。立てているのです。
節目の完了時点で、これ以上できないだけやった、自分のすべてを注ぎ込んできたという感触があることが、勝利の道を歩んでいるという自信につながっているのでしょう。
やり残したことはあるけれど、まあまあだったから、この次にはがんばるというのではなく、やるだけやった、そこに全身全霊でぶつかってきたから、問題を必死に解決してきたから、そして、自分のすべてを注ぎ込んだからこそ、「自分の人生」を歩んでいる、「自分の人生」を創り出しているという確信となっているのでしょうね。
留学の最後に、留学生活が成功だった、大きな達成があった、未来に自信を持って歩んでいける、と生徒が感じられることがこのプログラムがめざしているところであり、その確認ができることはこの上なく嬉しいことです。
留学してきた生徒、一人一人に、1年、3年に関わらず、その最後に立っていて欲しいところです。この場に立つことをめざして、1年、3年を積み上げてきているからです。
「留学」という特別なことを通して、自分が過ごしてきた時間、自分が歩んでいる人生を自信を持って肯定できることは、そこに至るまでの達成を自分がしっかりと感じていることであり、その達成が次への大きな飛躍を約束するものになるから、節目の最後にここに立てることが大事となります。
周りが、他の人々が、どう評価するかではなく、生徒一人一人がどう自分を見るか、肯定するか、評価するかが鍵です。
1年を、3年の留学をやり遂げたという事実ひとつが、それだけですでに十分に大きな勝利なのです。それを多いに感じることが大事です。
そこに、さらに「自分」が全面的に注ぎ込まれていたら、達成感に「自信」という不思議なものが備わり、それが未来に向けての大きな跳躍の糧となります。
一人一人がこれを感じることができるよう、留学の残りの日々を精一杯がんがりましょう。