留学から得られるもの
投稿日:2013年10月8日
今日から4学期が始まります。
1年組の皆さん、帰国の日が視野に入ってくる時です。
もう2ヶ月しかないと思ったら、焦るだけ。焦る時には、いいものが吸収できないし、作り出すこともできません。
まだあと2ヶ月もある、と見れば、時間の捉えようはまったく違ってきます。
最初の2ヶ月のことを覚えていますか? わかがわからないうちに時間が経ってしまったけれど、その2ヶ月で自分の中に積まれたものは後から振り返ってみると信じられなほど大きかったはずです。すべてのことが新鮮だったから、そして、留学前に持っていたものさしで測ることができたから、収穫がより大きく見えたのでしょう。
今は、もういろいろなことがわかっています。でも、新しい環境に慣れたことで、かつて持っていたものさしは、多分、なくなってしまっている、でも、それがなくなった今、何をものさしにして成長を測ればいいのかよく見えない、自分が変わってきていることはわかるけれど、何がどう変わってきているのかはよくわからないというところではないかと思います。
人間がものさしにしているものの代表的なものは、学校のテストです。テストは、学習のこういう面を測るにはこういう問題がいいのではないかと、誰かが決めたものです。そして、その形式を恒常的にすべての生徒たちにあてはめるようになっています。悲しいかな、私たちは、そのテストの結果がすべてのように思い込んでしまうのですよね。テストの点数が良ければ、それが頭がいいこと、と見られる。悪ければ、頭が悪いという烙印まで押されてしまう。そして、本当にそれを信じてしまう。紙の上のテストなんて、人間のどれほどのことも測ることができないことを気づかないまま。気づいても、社会全体がそれで動き、体制全部がそうなっているから、紙面上の質問に応えることを得意としていない人は、段々に腐ってしまう。いつも、ダメだ、足りない、まだ努力が足りないと言われ続けるから。
でも、実際には、人間は大きすぎて、深すぎて、しかも、一人一人みな違うわけだから、その成長を測るものさしなんて無いのです。
では、何で測るのか? その前に、まず、測る必要があるのでしょうか? あるとしたら何のために? 誰のために? 考えてみたことがありますか? 誰かに自分を証明するため? 自分の判断ではおぼつかないから、人が作ったものさしをあてはめたらわかると思うから? そういうものさしに照らし合わせないと自分がわからないから?
人間にとって本当に大事なことは、自分が本当に体当たりしているかどうか、その確信を持てることです。どういうことかというと、「自分を生きている」と確信できるかどうかです。自分らしい生き方、自分がよしとする生き方、自分が正しいと思うことが実行できる生き方、自分独自の発想を表に出せる、自分のありのままを人々に理解してもらえる、自分が本当に誠心誠意偽り無く、物事に、回りの人々に、そして自分に向かい合っているということを自分の中で感じられることです。
ところがこれが難しいのです。なぜなら、人の、周りの物差しを判断基準として使っているうちは、自分のその判断基準を使うことができないからです。また、使えないからです。
他のものさしを使うことが悪いというのではまったくありません。他のものさしは、自分が改善を試みる上でとても大事なものです。他者が指摘することは往々にして自分には見えないことであり、そこには、大きなギフトがあります。学校のテストもそうです。点数が出ないというのであれば、違う学習の方法、あるいは、自分に合ったもっと効果的な学習方法を考える機会です。でも、それは、あくまでも参考材料であり、信じるための「烙印」ではないのです。
留学している生徒たちが、「楽しい」という言葉を連発するのには、その自分を生きているという感覚があるからではないかと思います。少なくとも、自分がジャッジされることなく、枠を飛び出す自由があり、枠から飛び出した状態で自分自身を試してみることができる、という感覚を味わえるために、楽しいという言葉が出てくるのだろうと思います。卒業生を見ていますと、帰国して数ヶ月後に出会うと、多くの生徒たちがまるで別人のようによそよそしく無表情になってしまっています。留学中に取り外したはずの仮面を再びかぶってしまうからなのでしょう。それが文化や社会に対応しているということならば、適応性、順応性とも呼べるものかもしれません。でも、自分を生きることをどこかにしまい込んでいる結果だとすればもったいないし悲しいことです。
そうして、多くの生徒たちが、再び留学に出ていくのですが、そこでは、再び新たに生き生きとした姿が通常見られます。「自分になれる」自由を得るからだと私には見えます。
自分を生きるということは、好き勝手に何をしていいということではまったくなく、むしろ逆で、自分のなすことすべてに、口に出すことすべてに責任が伴ってきます。だからこそ、自分を生きるということは、実は、とても重いことであり、それゆえに、生きる真の喜びもそこにはあります。
それを得らる方法は、今、この瞬間に、体当たりするということです。若い感性のすべてをもってぶちあたり、環境が与えるものすべてを自分の心で吸収することです。そこに、なんとも言えない達成感と満足感があるはずです。その達成感が、これからの自分の土台になっていくものです。毎日、それを積み上げてごらんなさい、一体、どれだけ大きくなるか。どれほど自分に自信を持つようになるか。それは、テストなんかで測れるものではない。他の誰も体験することのできない、自分自身のもの。だから、貴重であり、それがあなた自身のものさしになるのです。絶対に揺らぐはずのないものさしに。なぜなら、自分が体験したのだから。
まだ、2ヶ月もそれをする時間があるのですよ。
そして、日本に戻った時、何が違うものを感じる。その違いこそが、留学で得たものなのです。
違い、自由さ、表現の豊かさから、新しい発想や違う物事の見方や仕方が生まれてきます。ちょっと角度を変えただけで物事はとても違ってみえます。皆さんは、それを自身で体験してきたはず。でも、それが受け入れられないと窮屈に感じたり、「おかしい」「違う」「生意気」「自由すぎる」といった批判を受けて、縮こまったり卑屈になったりしてしまうことがよくあるのです。
日本はすばらしい国です。すばらしい文化を持つ国です。でも、問題も山積みです。従来の方法では解決できないことがたくさんあります。留学して違う文化、違う世界を体験してきたからこそ、自分が得てきたものに自信を持ち、多いにそれを活用し、社会の活性化のために、世界の共存のために役立ててください。それがとりもなおさず、あなた自身を生きることになりましょう。留学で得たものは、そんなところに大きく反映されるのです。