“I’m READY”

投稿日:2013年11月17日

DHSの卒業式が終わり、ICETの12年生が一人ずつ、この地を去っていきます。

14日には、ミホさんが。「すぐに戻ってくる!」と言いながら、ご両親と一緒に日本に発ちました。

今日も、また、一人。今、ちょうど、熱い想いを、”I’m ready”という言葉に託して、この時間に成田行きの飛行機のタラップのステップを踏んでいる時間です。

”I’m ready”というのは、「用意ができている」という意味です。何かに向かう際に「自分が用意周到の状態にある」ことを意味し、「何が来ても受けて立つ用意があるぞ」という意気込みと覚悟を意味する言葉でもあります。

この3年間の軌跡を赤裸々に、そして、生き生きと語っています。

 

My journey in Australia              

                                                Tsukasa Hisanari

僕はオーストラリアに来た日を覚えていない。でも何を経験し、何を獲れたかははっきり覚えているし感じている。僕は昔からグループ活動が嫌いで、たくさんの人と話すのが苦手だった。いつも勝手に一人行動を始めるし、人と関わることを避けていた。いわゆる一匹狼だった。友達がいないわけではない、ただ1人でいる時間が好きだったし、その頃は一匹狼の人はかっこいいと思っていたからだ。今それを思うと少し恥ずかしい。

さらに、僕は負けず嫌いだったし、人の前では絶対泣かない頑固者。なのに人1倍目立ちたがり屋で、何も考えず行動するような人だった。

 

乗り越えられない壁は存在しない

オーストラリアに来て1番最初の壁は極度のホームシックだった。前述したように、自分の弱いところを見せるのが嫌いだった僕。周りが「ホームシックだ」「日本に帰りたい」と言ってても絶対に僕はそのような言葉を発しなかった。おまけに、友達が「ホームシックにならないの?」と聞いて来た時は、平気な顔して「なるわけない」と答えてた。でも実際はすごく苦しかったし、布団に入ると泣いてばかりで全然寝付けなかったのも覚えている。なんであんなに強がってたのか今の自分でも分からない。(笑)

友達作りもあの頃は大変だった。どうやって接して良いのか分からなかったし、自分の英語にも自信が無かった。言葉の壁はどうしても留学をする人にとっては大きな壁だ。

でも、僕には大きな武器があった。それは、バスケットボールをしていることだった。学校の体育の授業でバスケットボールをした時に一躍有名になった。あだ名まで付けられた。たしか、Freight Train。直訳すると貨物列車。実際に付けられた意味は貨物列車は駅で止まることがない。止められないという意味でこのあだ名にしてくれたらしい。自分でも結構気に入ってる。学校では大体の人が僕のことを知ってるし、Davidsonでも有名人らしい。だから、自分から接しに行かなくても、相手が来てくれたし、友達作りに困ることはあまり無かった。今ではあまりあだ名で呼んでくれる人はいないけど、僕がバスケのTSUKASAだと知ってる人が多く、先生からも声をかけられるし、年下の生徒からは引っ張りだこである。これがちょっとした僕の自慢だ。

今思えばすごいことだけど、留学1年目に親に連絡はしたことが無かった。Mr Manningにも2年目に入って到着の連絡はしろと怒られたのも覚えてるし、「親と連絡してるか?」ってたまに聞かれる。嫌いだったわけじゃない、ただ、日本と連絡をとる手段を自分は持ってなかっただけ(笑)1年目はパソコンを持って行ったらダメだったし、iPodも持って無かった。ホストファミリーの家にはパソコンもあったけど使わなかった。ICETの皆が携帯を買い始めた時も僕だけ持ってなかったし、遊びに行く約束をするときは随分と迷惑をかけた。(笑)

僕にとってiPodを持っていなかったのはいいことだったと思う。Skypeで親と話したとか、日本に連絡したとか聞いてたけど、そんなに現状報告が必要かと思うばかりだったし、どうせ1年後に会うのだから、会う日まで取っとけよとまで思ってた。iPodを持ってたらやっぱり何時間もそっちに目がいってしまう。そうすると、どうしてもホストファミリーのことを気にしながら生活しないといけなくなって疲れも貯まる。全然いいことない。2年目に入ってiPodを持ちだしたけど、自分から日本に連絡はしたことはないし、連絡をしてくれるのも、テクノロジー好きのおじいちゃんとSkypeをしてたぐらい。健康で生きてるかどうかを聞いてきて、少し学校の勉強のことを話すくらいで4ヶ月に1回のペースでSkypeをしてくれた。僕は親が機械音痴で良かったと思ってる。やっぱり知ってたら連絡してたかもしれないし、Skypeをして帰りたい気持ちが出てきてたかもしれない。

機械音痴でありがとう。

最高の環境

僕とホストファミリーはとても相性が良かった。ホストは全員で4人。親と男兄弟2人。自分の家族構成と全く同じだったし考え方、やることまで似てた。Host dadはテンションが高いおじさん。いつもおやじギャグを言うし、女の子の話が大好きで夕食はいつもそんな話題で盛り上がる。Host mumはいつも冷静にdadに対応して、またそれが面白い。料理も上手だし、僕の大好物はスパゲティーボロネーズとグラタン。1番上のお兄ちゃんは大学のために家にいるのはほんとたまにだけど、スポーツ万能で高校では生徒会にも入ってたし身長192ぐらいのイケメン。日本に行けばモテモテだろーな。そして、弟も負けてない。歳は僕より1つ下だけど身長は187はある。バスケをやってて州代表の選手だ。ICETの女子生徒からは高評価の弟。3年留学中はほとんど弟と過ごしてた。歳が近いから話題や趣味も一緒だし、週末になるとビーチにサーフボードを持ってサーフィンを1日中してた。オーストラリアはたくさんビーチがあるから、日本で言うと駅前に遊びに行く感覚でビーチに行ってた。お陰で、肌がビダーチョコレート色になるぐらい日焼けをしたし、海が綺麗なオーストラリアでは野生のイルカや鯨を近くで見ることもできる。オーストラリアで過ごすにはビーチが欠かせない。(笑)

自分の部屋もすごく良い部屋で、洗面所、キッチン、ソファーが二つにビリヤード台。テレビもあるし卓球台まで。そして自分の寝室がある。今では自分の特等席もあるし、友達も今、留学している後輩も妬む部屋に3年間住まわせてもらい、僕の部屋に住みたいと言う後輩も少なからずいる。

最高の環境の中で留学をさせて貰っていたと思っている。

 

僕の勉強のしかた

1年留学と3年留学の違いは大きい。英語力だけじゃないし、経験する出来事も多くなる。でも、僕が3年間留学を選んだ理由は別にあった。

それは勉強のスタイルだ。人間はいろんな形で区別される。勉強が好きな人、勉強があまり好きではない人。スポーツが得意な人や、あまり得意ではない人。日本の勉強するスタイルは先生が生徒に教え、生徒は懸命にノートをとるのが一般的である。でもオーストラリアは違う。先生が基礎知識を教えたあとは、生徒が授業をしたり、こっちの学校では当たり前だが、ディスカッションをよくする。教科によって変わってくるが僕の選択していた教科のほとんどがこの勉強スタイルだった。生徒が生徒に教えることもあれば、先生にも指摘することだってある。勉強をするのにもいろいろな種類がある。日本のように書いて勉強する。聞いて勉強する。見て勉強する。実際に手や足など、体を使って、動きながら勉強する。勉強ができないのではなくて、嫌いな教科の勉強する種類が合ってないだけ。逆に好きな教科は現在やっている勉強方法で良いということ。僕は勉強に動きを加えながらする勉強スタイルが大好きで、こっちの授業は実践から学ばせることが多く、自分もその勉強スタイルに合っていたから3年間留学を決意した。

 今日は、ここまでです。続きは、明日に。

 

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