プラトンの洞窟

投稿日:2014年2月6日

“Myth of the Cave” というコンサートに招かれて行ってきました。

これは、Yetzhak Yedidというピアニスト/作曲家が、プラトンの洞窟の寓話をテーマにして約10年前に作曲し、初演は、2002年にフランクフルトで行われ、シドニーでは、クラリネットとバスとピアノのこの3人の演奏家たちの組み合わせでは初めてのものということ。40分ほどの大曲でした。

会場は、シナゴッグと隣り合わせになっているCommunity Centreで、初めてシナゴッグの内部を案内していただく幸運に恵まれました。中は、整然としていて、ステンドグラスを通して光線が床に映え、7本のメタルの板が壁に貼られています。7本は曜日を意味し、この教会のメンバーで亡くなられた方々の名前が彫ってあり、命日には、名前の横に小さな灯りが灯されるということ。お祈りの場所の前には、十戒がヘブライ語で書かれた石版が10枚天上から吊られていました。

招待してくださった友人と一緒でなければ、足を踏み入れる機会はなかったところです。

この曲は、イエディッド氏が、当時イスラエルにいて、ほぼ連日のように起こるテロ事件、住民の人々の様子を見て、自分たちの置かれている状態は、曲解した虚像の現実、真実からの無知、そのために起こっている世界中の悲劇、まさにプラトンの洞窟の中にいるのとまったく同じ状況ではないか。宗教の教えをしっかりと守り、誰を憎まなくてはならないというようなことを教えられ、その結果、人と人、思想と思想が憎みあい争っている状態から飛び出すにはどうすればいいのか、それを音楽で表したのが、この曲であるという説明がありました。

批判的な感情、哀れみ、祈り、慈悲、真実を見たい熱望といった気持ちが表現されているということですが、実際、本当に聴いている間、心臓が何度もいろいろな方向に揺さぶられるような音楽でした。すばらしい演奏でした。

さて、なぜ、これを取り上げているかというと、プラトンの洞窟が、私たちが社会を、また、世界を観るときに、私たちはある特定の思い込みや偏見に囚われていないだろうか、見たいと思うものしか見ずに真実や現実から逃避してはいないだろうか、見るべきものに敢えて目隠しをしてしまい自分を騙しているようなことはないだろうか、外に何か違う光を見て憧れても今の居心地の良いところから出る勇気を持とうとしないのではないだろうか、といったことを改めて考えてみるのにいい機会だと思ったからです。

そして、留学にもとても関係があるからです。

プラトンの洞窟の話を簡単にご紹介します。生まれた時から洞窟の中につながれた人間たちがいて、見えるのは洞窟の奥の壁と、自分たちの後方から注ぐ日の光で壁にできる影のみ。話をすることはできても、視線を後ろに向けることはできません。ある時、そのうちの一人が逃亡して洞窟の外に出ます。最初は光で目が見えないのですが、徐々に慣れてきて、そこには、いろいろな色があり、形があり、自然があり、花々があり、太陽があり、美しいものをたくさん目にします。興奮して彼は洞窟に戻りました。外にあるものを伝えるためです。

やがて、洞窟の中では暴動が起こります。彼の見たものを見たいと望む人たちと、見たくない人たちの間に。

彼は、その暴動で殺されてしまいます。

これを人ではなく、文化、民族、国家に置き換えてみると、たくさん、いろいろなことが見えてきます。今の世界情勢に、これをあてはめてみれば、欲に溺れ利権と権力を守りたい人たちは、外からの光はそれが真実に近ければ近いほど恐怖以外にはないかもしれません。余計なもの、邪魔者でしかありません。邪魔者は退治しなければ。自分たちが絶対に正当なのだ、と。

留学にあてはめてみましょう。

自分の知っている世界から飛び出して外に出ました。でも、外には、新しいことばかり、それが何なのかすらもよくわからないものや、光が眩しくてよく見えないものもあります。人もいるけれど、どうやって接していいかわかりません。言葉もどんな言葉を使えば通じるのか。どんな挨拶をしたら自分のほうを向いてもらえるのか。友達になるにはどうすればいいのか。いっぱいいろいろな情報をもらうけれど、ありすぎて頭がパンパン。毎日の時間が早いのか遅いのかの感覚すらない。

元の世界には、懐かしい人たちが残っている。そこには、不安はなかった。居心地が良かった。新しいところは、不安だらけ。前に進みたくない。だって、予測ができないし、新しいチャレンジばかりだから。毎日が疲れる。

留学が始まって、2週間が経ちました。

外の草原を自由に飛び回り、太陽の光線を浴びて踊り、花々を摘み取って自分のカゴに入れ、動物や子どもたちと遊び、外の空気を思い切り吸うか、緑の芝生の感覚を確かめながら一歩一歩進んでいくか、眩しい太陽に目をとじたまま動かないでいるか、洞窟の扉にしがみついて離れないか、みんな、それぞれの選択です。

居心地の良さを振り切ることができるかどうか、リスクがあっても試してみるかどうか、一か八かでやってみるか、それとも、居心地のよいところに留まるか。みな、それぞれの選択です。

その結果は、無限の大きさとして違ってきます。

変わらないものは、確実に過ぎていく時間だけです。

自分が本当に描きたい絵を描くためには、新しいところで自由に飛び回るだけの勇気と、エネルギーと、度胸と、チャレンジ精神と、居心地の良さを振り切るガッツが要ります。

思い切り飛び出しましょう。飛び出した先には、必ず、今まで知らなかった世界が出てきます。

 

 

 

 

コメントをどうぞ

お名前(必須)

メールアドレス(必須)

URL

ブログトップへ戻る