Jamaica
投稿日:2011年2月5日
今日も32度。暑い、暑い!
眠れない夜を過ごした生徒もあるようです。シドニーでこれだけ暑くなるのは珍しいことです。
Jamaica・・・ 国ではなく、女の子の名前です。去年、Davdisonを卒業した生徒です。いつもICETの生徒たちの近くにいて、9年生頃からは、いつもICETの生徒たちの「良き友」で、面倒を見てくれた生徒です。会いたいという呼びかけがあり、会ってきました。今年は日本に行くつもりなので、日本のことをもっと知りたいということでした。
オーストラリアの教育制度には、gap yearと呼ばれるものがあります。日本では、高校から大学は一直線。これを逃せば浪人となります。オーストラリアでは、大学に行く前に、1年なり数年の時間を取り、仕事したり、旅行したり、volunteer活動に従事する若者がたくさんいます。大学は、本当に勉強する場であり、そこに行く前に、自分が何を何のために勉強したいのかを見極めるための時間、年月なのだということです。
もちろん、それを可能とする制度があるからできることです。
逆に、大学は大変なので、高校で学習する姿勢があり、それを失わないうちに大学での勉学をしてしまいたいという生徒もいます。間を置いてしまったら、勉強する姿勢や意欲を失ってしまうかもしれない、と。
それだけ、大学での勉学に重きが置かれ、実際に、それだけの重みのある学習が要求されます。勉強しなければ進級もできないし、卒業もできません。一旦入れば、就活が始まるまで遊んでいても大丈夫、という傾向がある日本とは、大分、様子が違います。
Jamaicaは、そのgap yearを利用して、日本に行き、今まで自分が勉強してきた日本語の能力をもっと高めたいということです。
日本にもこんな制度があったらいいな、と思うのですが、これを実現するためには、教育制度の根本的な改革がなければできないことです。
日本語を8年生で習い始め、難しいので、いやになってしまったときに、お母さんが、「これからは、アジアの国々との結びつきがとても大事になる。だから、がんばってやりなさい」と励ましてくれた。私にとって、ICETの生徒がいるデイビッドソンは、本当にすばらしい場所だった。私は、ICETの生徒に育ててもらった、と言うJamaica。
彼女は、シドニーで生まれたのですが、いつも、自分のこの国で違和感を感じ、一生懸命がんばる日本人の生徒たちの姿勢や価値観にむしろ近しいものを見出し、特に、人や文化を尊重する姿勢に共感を覚えて、一緒にいると楽しいし、安心していた、と言います。
彼女の家族はSamoaの出身です。彼女自身がサモアとオーストラリアというふたつの文化の違いを体験しているからこそ、オーストラリアに留学して来る日本人の生徒が通る道の大変さがわかり、がんばる姿勢を自然に応援したい気持ちになるのでしょう。
かなり前のことになりますが、メルボルンで教育に関する国際会議が開催された際に、Samoaの教育大臣によるスピーチがありました。その内容は、私には、とても衝撃的なものでした。
「かつては、子供たちは、みな、communityの宝物で、communityのためになる人間を育てた。子供たちの間には、何の分け隔てもなかった。観光客がたくさん来るようになって金を落とすようになってから、欲と物質に基づく差別が生まれるようになった。そのうちに、西洋式の学校というものが建てられた。そこでは、点数に基づく差別が生まれるようになった。そして、人々は、いつの間にか、communityではなく、個人の富、個人の利益を追うようになってしまった。教育というものが何であるのか、問い直さなければならない。」
このスピーチは、その後、私の教育に対する原点になったように思います。
「私の母は、いつも、communityの役に立つ人間になりなさい、と教えてくれた。その教えに感謝している」と言うJamaicaを見ていて、Samoaの人々には、外国に出ても、そういう精神が家庭の中にしっかりと生きているのだと改めて感心しました。
オーストラリアは、洪水とサイクロンという悲劇を通して、今、国中の人々の心がひとつにまとまっています。みな、互いを必要とし、互いのために生きているのだ、と。