イースターに想うこと
投稿日:2014年4月17日
明日から4日間、イースターです。
学校の2週間の休暇の中に、また、別の休暇があるような感じですね。
生徒の皆さんは、Easterについて、ESLのクラスで勉強したことでしょう。自分でも、調べてみましたか?
明日からの4日間にいろいろなことを見聞すると思います。特別なミサに参加されるお家もあることでしょう。
Easterは、日本にはないものであり、こちらでも、普段あまり考えることがないことを考える時期でもあります。
キリストの死と復活を祝うイースターは、キリスト教徒にとっては、キリストの誕生を祝うクリスマスと並ぶ大きな行事です。バチカンはもとより、キリスト教徒が国の人口の大半を占める国では、たくさんの儀式が行われます。
私が4年半住んだメキシコは、キリスト教が支配する国なので、聖週間(Semana Santa)と呼ばれるこの時期は、敬虔な祈りとお祭りのような気分に包まれる時でした。教会という教会は人でいっぱいになり、地方の町ではキリストが十字架を担いで苦しみながら歩く様子を再現したり、教会の庭の石畳を血を流しながら膝で歩いている人の姿もたくさん見かけたものでした。
オーストラリアも、キリスト教徒の多い国です。Easterには、学校も企業もすべてが休みになり、店という店が閉まることからもその重要性が感じられると思います。
Sky Newsによるアンケートでは、85%の人々が、この時期に宗教的な意義を考え、また、死と生について考えるという結果が出ていて、改めてその数やオーストラリアの人々の持っている感覚に驚きました。
私は、キリスト教徒ではありませんが、キリスト教について学ぶ機会がたくさんありました。学べば学ぶほどわからなくなるのですが、ひとつだけ言えることは、キリスト教を初め、イスラム教、仏教、ユダヤ教などの大きな宗教の歴史を有る程度学ばなければ、世界のことを深く理解できないということです。だから、これから世界に出ていこうとしている高校生の皆さんにとっては、Easterは、そうしたことを調べてみたり、本を読んでみたりする良い機会です。
同時に、みなさんに考えて欲しいことがあります。人間には、いつか、「終焉」が来ます。
現在では、DNAを調べると、いつ死ぬかということもわかるということですが、私たちは、日常、そうしたことを考えることもなく、何かに到達するために、わけもなく忙しい毎日を送っています。せっかくオーストラリアにいて、Easterという特別な時期を迎えたのですから、皆さんも、終焉に至るまでの、自分の生き方を考えてみませんか?
なぜ、こんな話題を出すかというと、終わりがあるからこそ、今ある「生」をとても大事にするようになるからです。
もし、明日、今の生活はないと知ったら、あなたは、今日の生き方、時間の使い方を本気で考えませんか?
この考え方は、今に始まったものではありません。そして、古今東西に共通するものです。
「武士道と云うは死ぬ事と見付けたり」という有名な言葉が「葉隠」という武士の心得を綴った本の中にあります。日本の武士たちは、死を覚悟するからこそ、「生」に捨て身の本気さを注ぎ込みました。
現代に行きている私たちは、普段、自分の生が永遠にあると思うから、明日も同じ時間があるとわかっているから、毎日の生活をなんとなく送ってしまったり、目的意識を持たなかったり、適当に生きていることに意識を向けることがありません。
でも、続くものが明日にはなかったら、今日をどう生きるか、今日何をするのか、今日の自分がどうあるべきかということは、極めて大事なこととして浮き上がってきます。
何を言いたいかというと、今日のあなたを最高のものにして欲しいのです。世の中には今この瞬間に、飢えで、戦争で、犯罪で命を落としている人がたくさんいます。津波では、約3万人の人があっという瞬間に消えてしまいました。
世の中には、夢を持てない人々がたくさんいます。その夢が叶わないことがわかっているからです。留学生の皆さんは、若くて元気。才能をたくさん持っている。とても恵まれた生活を送っている。留学というとてつなくすばらしい機会を与えられている。しかも、夢を実現できる可能性に満ちた世界にいる。あなたの努力次第で・・
そんなあなただからこそ、今日、最高の輝きを出して欲しいのです。明日ではなく、今日。
そして、明日は、今日以上の輝きが出せる1日であって欲しいと思うのです。生きることに、そうした真剣さを持って欲しいのです。今日のあなたが輝いていたら、未来のあなたが輝かないはずがありません。
でも、今日輝けないあなたなら、1年後に輝くという保証はどこにもありません。大きな夢、大きな理想に向けて毎日を送ってください。
すでに毎日を真剣に一所懸命生きている人にも、自分の生活、生き方のQualityをさらに高めることを考えるいい機会です。改善はいくらでもできます。
まだ、必死のがんばりを体験していない人、Easterは、キリスト教徒だけでなく、私たち全員にとって、自分を生き方を見つめるいい機会です。ご両親からいただいた命を本気で活かしているかどうか。自分のために、そして、社会のために。