イマジネーション

投稿日:2010年6月17日

  FIFAのW杯が始まり、世界が沸いています。シドニーではダーリングハーバーに巨大なスクリーンが設置され、2万人を超えるという人々が「Socceroosサッカルーズ」の応援に集まりました。チームの名前は、サッカーとカンガルーをひとつにしたユーモラスなもの。結果は、ドイツに大敗。

 一方日本はカメルーンに勝利。そして、「はやぶさ」の帰還。日本中がときめいていることでしょう。着陸地が南オーストラリアだったので、こちらでも大きなニュースとして取り上げられました。日本のことがこちらでニュースに出てくるのは、低迷する経済、捕鯨、戦争の傷跡などに絡むことが多く、良いイメージを与えるものがないだけに、「はやぶさ」帰還のニュースは、久々に心地よい響きのものとなりました。

デイビッドソン・ハイは、今週はSOPA (Season of Performing Arts) 一色に染まっています。ダンス、音楽、演劇を総合的にパフォーミング・アーツと呼び、デイビッドソン・ハイは、この分野で名を馳せています。毎年、この時期に、7年生から12年生まで、これらを科目として勉強している生徒たちや、また、課外活動でこれらの分野を楽しんでいる生徒たちが一堂に会して家族や地域の人々に演技を披露します。丸2日にわたって劇場を借り切って数回いろいろな組み合わせで公演します。料金を払って観覧するだけの価値があり、本当に楽しめる高いレベルとエンターテインメント性を持ったすばらしいものです。ICETの生徒たちの中から、この場で活躍する生徒たちが毎年いて、学校でただ一人しか得られない学校賞を得た生徒もいます。

このSOPAのもうひとつすばらしいところは、そのうちの1回の公演を地域の60歳以上の方々に無料で提供することです。先週ご紹介したEnrichment Programというのは小学生の子供たちに向けたもの。このSOPAへの無料招待はシニア世代に向けたもの。デイビッドソン・ハイが地域の住民とのつながりを大事にしていることが、ここにも出ています。

今週の言葉

Imagination : Dreaming and exploring endless possibilities

想像:無限の可能性を夢見て探求する

という言葉が出てきました。ある生徒がすぐに思い出したのは、「セサミ・ストリート」で歌われる「イマジネーション」という歌でした。想像性とは・・・ 以下生徒たちの解釈です。

「ライト兄弟のように可能性を無限に拡げたことが自分の夢となり、それが実現した」「こうなればこうなるという理性を抑えて、次から次へと自由に思考を拡げていく」「あれはダメ、これは現実的ではない、という制約をかけずに考えを広げる」「夢は大きく。不可能だと考えない」「可能性を夢にする」

想像という言葉は、一般的な受け止め方としては、ふたつの側面を持っているように思えます。ひとつは、とても甘いメルヘンの世界、なんでも可能な夢の世界、時代を超えた遠い世界、無限の可能性を秘める世界、唯一絶対の自由がある世界、誰にも支配されることのない世界。他の誰も踏み込むことのできない精神領域、自分だけのもの。

もうひとつは、現実離れしている、地に着かない役立たずのもの、確証も裏づけもない信頼できないもの、良く理解できないもの、といった否定的に扱われる面です。

人間が飛躍し、新しいことを成し遂げていく裏には、この想像が役に立っているのでしょう。制約をかけたり、枠にはまった考え方からは、新しいものを創り出すことは不可能です。なぜなら、そこにすでに決まった枠、壁、ルールがあり、それを乗り越えてはいけないと思ったり、乗り越える必要を感じなかったり、乗り越えための努力が面倒だったりするからです。未知の領域への壁を乗り越えるには、エネルギーが要ります。勇気が要ります。知恵が要ります。

理想とする状態を想像することで、そこに到達する方法を考えれば、実現に至るはずなのですが、現実は、そうたやすくありません。夢見る理想と今ある現実を結び、自分が歩けるはしごをなかなか探せなかったり、探しても歩み続ける努力が続かないからです。そこには豊かな発想や多くの労力や努力の継続が求められます。面倒だと思えばそれまでです。豊かな発想は、想像をたくましくめぐらすことから生まれてくるものでしょう。ちょっとしたひらめき、思いつき、あるいは、物事を違う角度から眺めた時の驚きや感動が、発想に結びついてくるのだと思います。問題は、それをどう現実に移すかです。

高校生は、未来に向かって想像を豊かに巡らす時期にあります。理想が高ければ高いほど、現実との隔たりに希望を削がれてしまうこともあるかもしれません。高校生には、大学生や大人のような自由がまだ与えられていないから、余計にそのギャップを感じることが多いのでしょう。

でも、忘れて欲しくないことがあります。礼儀や人との交わり方や自分の管理ができ行動に責任が持てるといった社会性をしっかりと身につけている、自分が社会の中でどういう位置にあってどういう役割を担っているかの認識を発達させている、そして、考えるための知識をたくさん持っている、ということが基礎となり、それがあって初めて自分の夢を実現させ、社会に貢献できるだけの力を発揮することができるのです。

高校という時代は、その基礎をしっかりと積み上げる大事な時期です。

ある保護者の方からとても示唆深いお手紙をいただきました。「出典は定かではありませんが、最近読んだ記事によると、『凡人がある日突然スーパーマンの筋肉を手に入れたとしても使いこなせない。なぜなら、脳のその筋肉を使いこなす回路がないから。脳は失敗例や成功例を繰り返すことで、次の壁を乗り越える力を出すための回路を脳内に創り出す。』のだそうです。この話に、留学中の子供たちの成長ぶりを重ねました。」

「子ども達は、失敗・成功を繰り返しながらも、確実に階段を1段 - 最もエネルギーを必要とする最初の1段 -をものにしたと、親は確信しています。」というお手紙でした。私にとっても大きな励みとなるお手紙でしたが、ここに述べられていることは、まさに、高校時代に積み上げるものがその後に続く人生の礎になるのだということ、そして、留学という未知との遭遇の中で多くの試練を通ることでさらに大きな成長を遂げるのだ、ということです。

高校生が今の試練を乗り越える意味は、ここにあるのだと思います。理想に到達できないことに欲求不満を感じるのではなく、理想に近づくためのはしごをかけ、毎日上り続けることが大事なのだ、と。そして、そのためには、1日1日の時間を大切に使うことです。

一発で夢がかなう魔法の杖はありません。でも、自分が行きたい方向に杖を振り続けることが、「魔法の杖」の秘訣です。上手に使い続けましょう。

ご紹介するのが遅れましたが、私が生徒たちと使用しているカードは、Jennifer Blackさんという方が作られたものです。Jenniferさんには、シドニーで開催された’Mind, Body, Spirit Festival’でお会いし、彼女の考え方、世界をひとつのものとして捉える視線、それに対してのキャンペーンなど、大いに共感しました。社会の基盤となる道徳、世界共通な倫理観をどのように高校生の生活の中に取り入れていけばいいのかを何年も模索・思索しているのですが、ジェニファーさんのカードは、地球上の人々の共生をベースにし、簡潔で、わかりやすい英語で、生徒たちの心にすんなりと入っていくもの、まさに探し続けていたものでした。早速と使ってみましたところ、生徒たちは敏感に反応します。ジェニファーさんのウェッブサイトを覘いてみてください。

www.weareone.net.au

写真は、ライトアップされたオペラハウスです。赤松里映さん撮影のものです。

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