ANZAC Day Service
投稿日:2014年4月26日
4月26日午後4時現在、全員無事にシドニーのホストファミリーに戻りました。
以下は、昨日の様子です。
ANZAC Day.
99年前のこの日、トルコのガリポリで、ニュージーランドとオーストラリア合わせて1万人余の若き青年たちの命が失われたことへの追悼と感謝の記念行事です。
「戦闘には負けた。でも、オーストラリアは、そこで生まれた」ということがよく言われます。1901年に連邦議会ができてまだ間もない1913年、オーストラリアは、英国の要請に応えて、世界にその存在を知らしめるために多くの兵隊を送ったということです。
でも、ひとつの戦闘で多くの命が失われたことがその後のオーストラリア魂、気骨、意気に深い影響を与え、そこから、オーストラリア人気質、オーストラリア精神が生まれ、その後のこの国の人民の底に流れる精神性を作ったという意味で、この言葉が使われています。
4月25日。オーストラリアでは、全国がひとつになります。
ANZACというのは、Australian and New Zealand Army Corpsの略で、1916年に設置され、現在に続いています。
最初は、第一次大戦で命を落とした兵士たちのものだったこの行事は、第二次大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争など、その後にオーストラリアが派兵したすべての戦争の犠牲者を弔う日となっています。弔うことで、未来に同じ犠牲を出さなくて済むことを祈願するものでもあります。
第一次大戦は日本は連合軍の仲間でした。英国やオーストラリアと一緒に戦いました。第二次大戦は、連合軍の敵となりました。
立場がどこであっても、戦争という誰かが選択して決めたできごとの中で、国家のためにその尊い命を落とす人々、そして、祖国に落とされる爆弾などで命を奪われる人々の犠牲の上に成り立つ現在の平和を感謝したいという気持ちには、世界共通に通じるものがありましょう。
ICETの生徒たちは、毎年、この日に、首都キャンベラでこの行事を見聞します。もうそろそろ10年になります。この場にいることがとても特別なことなのですが、それが、どれほど特別なことかというのは、生徒たちにはあまり実感の無いものだろうと思います。
でも、その場で実際に見聞することで、生徒たちの胸中には、いろいろな想いが錯綜します。今年は、このことが本当に特別なことなのだと、外から証明されたことで、生徒の印象がさらに強くなれば、さらに意味は深くなります。
同じ場を共有したのは、オーストラリアのアボット首相。イギリスのウイリアム王子夫妻。オーストラリアはまだ英国連邦の下にあり、元首はエリザベス女王です。つまり、ウイリアム王子は、この国の未来のキングです。この国が共和国として独立しない限り。
そして、通常、イギリスにいる元首を代表してこの国を統治するGovernor-General (総督)。去年までは、Quentin Bryceというすばらしくすてきな女性の法律家でしたが、今年の4月で任務が切れ、今度は、今までずっと軍人として活躍してきてSirの称号を得たPeter Cosgroves氏がこの日の主賓であるということで、如何に特別なセレモニーであるかということは感じられることと思います。
写真は、明日徐々に掲載して行きます。