Canberra Trip Day 3

投稿日:2014年4月27日

前日の国会議事堂での警備は、今まで一度も経験したことのないものでした。

それでも、造幣局からウイリアム王子夫妻を見たいと議事堂に残った生徒たちをピックするためにバスが議事堂の駐車場に戻る際、入れないことを覚悟されていたギャビンさんの心配は杞憂に終わりました。

警官に尋問されたのですが、生徒たちをピックするために、というだけで、議事堂の建物の地下に入ることはまったく問題なし。まだ、王子夫妻が中におられる時間でも。

翌日のANZAC DAY Serviceの会場は、野外です。どこからでも人は入ってこれます。警備が大変だろうと早めに出たのですが、そんな様子はまったくなし。チケットを持った人たちは、誰でも自由に策内に入れるし、また、周りを囲む大勢の人々も一切何も調べられるようなことはありませんでした。

アメリカのブッシュ大統領が見えた時は、ハーバーブリッジが何時間も通行止めになり、都市部の交通規制はすごいものでした。オバマ大統領がキャンベラに見えた時も、警備はすごかったという報道がありました。日本や韓国、中国での大統領の警備は、すごいものなのだろうと想像しながら、キャンベラの、オーストラリアの、この平和で、ここまで無防備でいられる環境、他国との外交関係にある国の状態に改めて感謝しました。

でも、考えてみれば、この日には、毎年警備などありません。それは、この日が持つ特別な意味と精神を考えたら、国家の重要人物が居並び、そして、多くの国の大使など国にとって重要な人々が揃っていても、そこで誰かに危害を及ぼすような人がいること自体が考えられないことなのかもしれません。

いずれにしても、改めて、感心することでした。

 


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会場に到着した際には、まだ、人もまばら。今年は、学校の生徒たちの席は、アレナから少し離れたところでしたが、でも、高台にあってすべてを見渡すことができ、むしろ、幸いでした。気温があがらない寒い中、生徒たちは3時間固い椅子の上に。でも、かれらの姿勢は、とても立派でした。特に、マナーに欠けた人々が今年は多く、その中で、ダントツに見事でした。

式に遅れてたくさんの人々が入ってきたのは、後でわかったのは、王子夫妻の動きを見るために別の場所にいて、通り過ぎてから移動してきたことが原因。そして、王子夫妻が戦争記念館の中にある無名戦士の墓に花を捧げるために会場を離れた瞬間に、参列者の多くが移動し始め、まだ式の最中なのに、これもびっくり。マナーの悪いのは、前後だけでなく、式の最中にもおしゃべりのし放題。

本当に驚きました。

目の前でそれが起こり、お行儀良くしているICETの生徒たちは、それをどう眺めていたのでしょう。自分たちを誇りに思えたことでしょう。ギャビン先生も、”Our students have been excellent!”と手放しで褒めてみえました。

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ANZAC Dayには、たくさんの人々が行進します。500万都市のシドニーの行進はとても華やかです。35万人の小さな町キャンベラの行進は、それに比べたら寂しいですが、でも、オーストラリアに過去に参加した戦争のすべての部隊の人々の行進があります。その一番先頭を行くのは、馬です。

誰も乗っていないのは、持ち主が戦争で亡くなってしまったというシンボルです。第一次大戦に、多くの兵士が自分の馬をヨーロッパに連れて行きました。戦場で一番頼りになり一番仲良しだったのは馬だったという逸話が多くあります。たくさんの馬も戦場で死にました。命を長らえた馬もいます。でも、その大事な友だった馬を連れて帰ることができませんでした。どの兵士も。

 検疫のためです。一度オーストラリア以外の土地を踏んだ動物は、戻ることができなかったのです。この事実は、たくさんの若い命が失われたということにさらにオーストラリア人の悲しみと憂いを誘うことになったようです。今でもずっと語り継がれ、最初に登場する馬がそのシンボルとなっています。

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時間が予定よりも延びて、式の最後に飛んでくるはずの戦闘機が途中で飛んでしまったり、アメリカや他の国々のマーチがある時に、ウイリアム王子と総督が移動し、総督のみ急いで持ち場に戻るなど、アレアレ?、という場面が多かった今年ですが、生徒たちにとっては、貴重な体験だったことでしょう。

窮屈だった式の後は。湖のほとりの自転車乗り。それぞれの場所で、自分たちが用意したランチを楽しんだことでしょう。

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運動して気持ちよくなった後は、QESTACONという科学博物館へ。物事の原理を小さな子どもたちにもわかるように、楽しく組み立てられ解説されている場所です。

この建物は日本政府から寄付されたものです。

最後は、国立図書館で、オーストラリアの宝とされている書物や地図や絵を閲覧。

特に、キャプテンクックのオーストラリアへの旅や白人と先住民の人々の出会いの時期に関する資料は、関心を持った生徒たちが多かったのように見受けられました。

図書館を出る際に、バスのエンジンがかからないということが起こりました。最終的には、エンジンはかかったのですが、その問題の本質を知るビャビン先生は、その夜はお休みになれなかった模様。私が知るのは、翌朝になってからなのですが。。

宿舎に戻って、楽しいお料理の時間。工夫をこらしたレシピーに挑戦したり、懐かしい日本の味に堪能したようです。

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