モラトリアム

投稿日:2014年6月2日

「モラトリアム」という言葉があります。

日本関連、特に教育に関しての記事の中では、この言葉に久々に出会った感じがあるのですが、経済や法律以外に、20年ほど前に、ひきこもり、ニート、「一人前にならない」若者たちに関連して、長いモラトリアム=甘えという捉え方で、negativeに使われていた印象があります。

今回は、とてもpositiveに捉えている記事に出会いました。

聖学院大学学長の姜尚中氏が、「モラトリアム」は自分を確立するし心を強くするためには必要なもの、ということを、漱石の「こころ」とトーマスマンの「魔の山」を例にあげて説明している記事がありました。大学は、そのための大事な時間だ、というものです。また、死という悲劇に直面することで、人間は、強く大きくなる、と。

グローバル化に適応するためにも、モラトリアムは大事な時間だ、と書かれています。

日経ビジネスオンラインに掲載されていますが、登録していないと途中までしか読めませんので、登録をお勧めします。無料で登録できます。

いろいろなことを考えさせられる記事です。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20140523/265298/?n_cid=nbpnbo_mlp&rt=nocnt

その意味であれば、高校留学ほどに、自分を見つめ、自分の生き方を考え、心を強くし、自分のアイデンティティを探る時間はほかにありません。しかも、別の文化の地にいるのであれば、まさにグルーバルの流れのど真ん中で起こっていること。

だから、留学の1年が9年分の成長に匹敵すると言われるほどに、その変化は大きなものなわけです。

同じ意味では、Gap Year(ギャップ イアー) という西欧の学校システムの中にある時間がこれに相当するように思えます。大学に行く前に、1年もしくはもっとの時間を取り、旅に出たり、仕事をしたり、ボランティア活動に参加したりして、学校での勉強以外のことに時間を使い、もっと幅広い体験を得て、自分の将来を考える時間です。

大学でしたい学習も、本当に自分が望むものなのか、違う生き方があるのではないか、仕事をしてみて自分がほんとうにしたいことが見えてきて、その結果、学習したいというものも鮮明になってきます。

大学に行きさえすればいいのではなく、大学に行く目的をしっかりと見据えることができます。

高校から大学に行くことが絶対使命である日本には存在しないシステムですが、徐々に、メディアに登場してきていますので、いずれ、導入されるようになるかもしれません。そうなれば、必然的に今の大学受験の在り方が変わり、それによって、学校教育の在り方が大きく変わる時代が来ることも考えられます。

留学を体験した若者たちが、大学に行っても多くが真剣に学び、社会に出てからは、自分の生き方と向き合っている青年たちの話をたさん聞くのは、本当に、そういう貴重な時間を持つ事ができたからなのでしょう。

高校での留学は、考え方や生き方のパラダイムそのものを変えることになる大きなものです。急速に変わりつつある日本社会は、高校で留学するガッツのあるような若者の力や新しい発想で物事を考えられるような人材を必要としています。

そして、こういう若者たちが、自立し損ないまま社会の中で居場所を失ってしまった他の若者たちや、「2025年問題」という言葉で称される日本社会の重い課題を背負いながら、未来の日本を支えることになります。

 現行生は、毎日の忙しいスケジュールに追われる中で、自分を見失っていないかどうか、起こることだけに反応している毎日になっていないかどうか、もし、そうであるならば、今与えられるいる時間の意味をしっかりと認識し、目的を鮮明にし、それに見合った日々を作り出していくためにどうすればいいかを再度考えてみるいい機会です。

大事なことを忘れかけているのであれば、卒業生にも、同じことが言えます。16歳に得たものは何だったのか。。。再度恵まれた自分を思い出し、奮起する機会です。

こんなすばらしい機会を与えてくださっている日本のご家族に、大きな感謝ですね。そして、広い世界に飛び出してきた自分の勇気にも、大きな拍手を送りましょう。

どのような生き方をしても、人生は、一度です。その一度を、思う存分に、生きましょう!

 

 

 

 

 

 

 

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