Session about Aboriginal Culture
投稿日:2014年6月20日
「先住民」という言葉があります。皆さんは、どんな人々のことを想像されますか?
英語だと、”indigenous” 「生来その地のもの」を意味する言葉で、もともとその地に済んでいた人々やその地に育つ動植物のことを指し、その後に来た別の人たちや外来の動植物から区別する言葉です。
先住民、先にそこに住んでいた人たち。。。
アフリカの人々、オーストラリアのアボリジナルの人々、中南米のマヤやアステカやインカの人々を始めとするたくさんの部族の人々、成り行き上そう呼ばれるようになった北アメリカのインディアンの人々、カリブ海の島々に住んでいた人々、日本のアイヌ民族など、地球上のどの場所をピックしても、先住民と呼ばれる人々が、殺戮や虐待や激しい差別に曝されることなく幸せに独自の文化を育み部族が栄えているところを私は知りません。多くは、人間が虐殺され、文化そのものまでが破壊されてしまっています。
小学校の頃、「コタンの口笛」を読み、差別されたり虐められたり人々の存在が現実のものとは思えず、作り事だと思いたかったのですが、それがアイヌの人々の現実であったことを知り、なぜそんなひどいことが放っておかれるのかと母親に何度も問いかけたことがありました。
その後、ヨーロッパからアメリカに進出した人々により、北アメリカの先住民も、中南米の先住民も完全に文化を破壊され、カリブ海の島々には労働のためにアフリカの人々が奴隷として送り込まれ、といったことを徐々に知るにつれ、世界は、力のみによって支配されるのだということを徐々に理解するようになりました。宗教も往々にして支配するための道具として使われます。
オーストラリアに4万年も前から住んでいる人々は、アボリジナルと呼ばれていますが、キャプテンクックの船が上陸してから、彼らもまた殺戮と迫害に遭い、200年余経った今も、その多くが、社会の主流とする文明や生活様式からはかけ離れた生活を強いられています。
おととい、ICETの生徒たちは、DHSの8年生と一緒に、アボリジナルの文化について学習しました。
たまたま私はその場におれなかったのですが、後で聞いた話では、ゲストは、パプアニューギニアに住むアボリジナルの方で、祖先は、フランス人の経営する農場の奴隷だったということ。彼は、マリスト派の教会に送られ、そこで勉強することができたけれど、自分の文化は決して忘れたことがないという内容で始まり、ディジャリデゥの吹き方を教えてくださったということ。
後半には、アボリジナルの文化に触れますので、このセッションは、良いイントロダクションになったことでしょう。
以前、ホストピアレンツのお一人に、マッコーリ大学の教授をしていらしたアボリジナルの方がおられました。「自分は高い教育を受けることができ、非常に幸運だった。今、大学で教えているのは、できるだけいろいろな人たちにアボリジナルの歴史や文化など、真の形で知って欲しいと思うから」だと言ってみえました。
彼は、The Stolen Generations(奪われた世代)の一人で、母親がアボリジナル、父親が白人だったために、アボリジナルの生活習慣を身につけないようにと母親から引き離されてしまいました。すぐ年上のお兄ちゃんは、鉄格子のはまったトラックに乗せられて行ってしまい、お兄ちゃんの悲しい目は、1日として忘れたことがないということ。自分は白人夫婦の家に預けられ、黒い肌を白くするのだとブラシでゴシゴシとこすられて血を流したことも、いくつになっても忘れられない場面のひとつだという話をしてくださったことがありました。
彼は、それから20年ほどしてお母さんと再び出会うことができたけれど、お兄さんが、お母さんと巡り会うことはなかったということです。
子どもを母親から引き離すというのは、当時の政府の政策だったのですが、2008年に、豪政府は、政府として始めて、その惨い政策の間違いを認め、その犠牲になった人々に詫びました。首相になったばかりのラッド氏の演説に、この国の多くの人々が涙した日でした。
どの国のどの民族にも、その歴史は深淵なものですね。