移民の国
投稿日:2014年8月18日
一挙に真冬に戻ったように感じる寒さの今日でした。
雨と風の久々の荒れ模様。今日は、4人も風邪でダウン。一人が治るとまた別の生徒がかかりといった状態が数週間続いています。ゆっくりと休んで、早く治るといいですね。ホストファミリーとホームステイ コーディネーターが連絡を取り合って、ドクターが要るかどうかなど、様子を見ています。
今日は、Global Issuesの授業で、「Immigration to Australia オーストラリアへの移民」のプレゼンテーションがありました。ペアを組み、次のようなプロセスで、リサーチし、まとめ、発表をしました。
どこの国から、いつ頃、どのような形で移民してきているか。特徴があるか。
それを裏付ける数字や、事実や、社会背景の説明。
「こんにちは」などの挨拶の言葉。
移民してきた人々が苦労したこと。
名が知られた人々。
オーストラリア社会にどのような貢献があるのか。
そして、それぞれの文化がもたらした食べ物を家で作ってきました。
私が見せてもらったものには、ドイツ、イタリア、中国、スペインがありました。
プロのシェフのホストダッドが、セルビアのデザートをふんだんに届けてくださいました。
他にも、中国のfortune cookiesや、スパゲティ、ソーセージ、ジャーマンポテト、餃子など、たくさんのものが並びました。
オーストラリアの人口を一挙に増加させたのは、1851年の金鉱の発見です。ある統計では、1851年のメルボルンの人口は、29,000人。その大半は、英国とアイルランドから。まだ、先住民以外の人々は、本当に少なかったわけです。それが、10年後の1860年には、129,000人までに増加。その後、人口は、旧劇に増加していきます。移民は、世界各国から一攫千金をめざした人々が集まってきました。
中国人の移民は、特に大きなものでした。
1850年頃の日本は、まだ鎖国中。外国船が開国を迫り始めていた頃です。そう考えると、オーストラリアという国が、いかに若い国かを改めて感じます。
次にあった大きな波は、第一次大戦後のイタリアとギリシャからの移民です。ダムや建築などの技術や、ワインや野菜の農耕技術は、オーストラリアのその後の発展に大きく貢献しています。
ベトナム、カンボジア、レバノン、ソマリア、ケニアなどなど、戦争や紛争があった国から、たくさんの難民を受け入れていることも、この国の特徴です。その人々が、皆、この国の財産となっています。