Christ Church 2
投稿日:2011年2月25日
運命は、時にあまりにも過酷です。
日本は、台風、火山の爆発、地震と、本当に自然災害の多い国です。ニュージーランドも火山国で2枚のプレートが北から南、南から北に交差しているところなので、地震がよく起こります。それだけに、地震の研究や耐震技術も進んでいると言われています。
そうした準備も技術も、自然の力の前には時には無力であることを思い知らされます。そして、その瞬間に、災害に遭遇した人々の命運も無残に分かれます。
日本人の学生たちが通学していた語学学校のある建物は、町の中心街にあり、まだ、とても新しいものだということです。カンタベリーテレビ局(CTV)というテレビ局が1階と2階にあり、ビルそのものもCTVと呼ばれています。その建物が形もなくまさにペチャンコに潰れてしまったことは、誰にも信じられないことでしょう。
このビルの下になってしまった人々の救出はしない、という決定が早い段階で(23日)下されました。理由は、余震がひどく救助隊の人々の命を保証できないこと、そして、建物の崩壊具合からみて生きている希望は持てないこと、だからそうでなくても足りない人的・機材的資源を救助可能なところに回すべきである、ということでした。
中に閉じ込められている人々の家族や友人たちには、耐え難い拷問です。
この決断がどれほど難しいものか、でも、適宜であったかどうかということが、テレビでもラジオでも、いろいろな角度から議論されました。
あるインタビューで、部下の半分がまだ閉じ込められているCTVの代表者は、「専門家がすべての角度から考えて判断したこと。適宜な判断とするしかない。」と言っていました。
2年前の、そして、10年前の山火事で、それぞれ救助隊として同じような決断を下したオーストラリア人が、現在に至るまで、折あるごとに、「自分たちにもっとできたことがあるのではないか」と自分に問うことが多々あるという話をしていました。
人々を救うために極限の仕事をした人々も、心に傷を負って生きているのです。以前、広島の原爆で建物の下に閉じ込められた少女を助けられなかったことが悔やまれて、と60余年経っても無念さに涙をこぼされる方の映像を見たことがあります。
災害に巻き込まれた人々は、どの立場にあっても、深い傷を負い、そのトラウマとのたたかいの日々を送ることを余儀なくされるのでしょう。
今朝(24日)、救助隊が再び、この建物に戻ってきました。「下から何かをこすっているような音がした」「誰か生きているかもしれない」と希望は一挙に舞い上がりました。でも、それも虚しい結果に変わりつつあります。
これから徐々に悲痛なニュースが、そして、遠い海外から、日本のご家族の方々にもたらされることを思うと、いてもたってもいられない気持ちになります。
人間は、ずっと、こうした自然とのたたかいの試練を経て現在に至っているのかもしれません。
この頃大規模な災害が頻繁に起こっているように感じます。でも、そう感じるのは、情報網の発達により地球の隅々のニュースが入ってくるからなのかもしれません。
大規模と感じるのは、人口が増え、積み上げられた富も大きくなっているので、その喪失が余計に大きく感じられるのかもしれません。
でも、災害の前と後では、まるで別の人生となってしまうのは、避けがたいことでしょう。
たまたまそうした苦しみに遭遇された人々に想いを馳せ、たまたま無事で快適さを、そして、豊かさを享受している私たちは、今この瞬間、そして、これから続く時間を意味ある時間とすることが課せられた使命なのだろうと思います。