リーダーシップは様々に違う。それが魅力

投稿日:2014年9月14日

本の名前が思い出せないのが残念ですが、リーダーシップをテーマにしたある書物に、「最も魅力があり人気のあるリーダーのトップは、常に、信長である」と書いてありました。

 信長に限らず、私たちは、戦国時代の武将の生き方にとても惹かれます。それは、彼らの一生が、常に、危険や賭けとの隣り合わせで、読みや戦略、信頼や裏切り、策略や裏工作、野望や絶望、運命の分かれ目となる切羽詰まる瞬間など、その武将の考え方、決断の仕方、生き様などの真剣さがそのまま伝わってくるからです。

そこには、後世の人々の演出や解釈や、それを書物や映画で再現する人々の才能に影響されていることが多々あるとしても、そこには、それぞれの時代に精一杯生きた人々の姿が浮き彫りにされています。

 信長、秀吉、家康の三人のリーダーシップは比較されていますが、この三人の違いは、とても面白いものなので、このブログでも取り上げてみます。

 たまたま司馬遼太郎氏が三武将を描いていますので、作家が同人物であることは、比較をより明確にしています。因に、司馬氏もまた、いろいろな歴史物語で多くの読者に感銘を与え続けただけではなく、日本の国のありかたなどを問う哲学者/思想家としてもまた偉大なリーダーです。

 司馬遼太郎が描く信長像は、天下布力の志、未来を先見する洞察力、広い世界に向けた留まるところのない好奇心、壮大な世界観、大規模な改革をもたらす構想力、独創と合理性に富んだ頭脳、変革を求める想像力と創造性、強靭な意志と決断力、大胆で果断な行動力、どのような人にも状態にも屈服することのない自己への尊厳、美を愛でる心など、人々がリーダーの中に見たいものを全部持っています。

それ故に、何百年経ってもなお後世の人々を魅了するのでしょう。

 こうした壮大なロマンを感じさせる信長の生き方は、その一方で、新しい概念の世界を創り出す改革のためには徹底的な旧態壊滅も辞さず、比叡山の焼討ちのような極めて残虐なことが許されたのも、戦国時代という特殊な時代にあってことのものでしょう。現在ならば、決して可能なことではありません。それがまた、現代人の夢をくすぐるのかもしれません。予期されなかった天王寺での最期もまた信長の人気をさらに高める要因になっているのでしょう。

 信長が果断で大胆、変革に必要なものは切り捨てるリーダーならば、その後に続く秀吉は、「平和」「人々の幸せ」という普遍的な理想を抱いて戦国時代を生き抜き、自分の外交手腕で次々と併合していく広大な土地を他の武将や部下たちに寛大に分け与え、個々の成長や成功を奨励し、人々をつなぐことに重きを置いた武将です。

少年時代から気が利き、身ごなしが機敏で、銭勘定に極めて優れ、周りの人々の役に立ち、様々な職種を体験し、律儀な性格で、仕事はすぐに覚え、昼夜を問わずよく働き、度量が寛く、人々に寛大に振舞うことを好んだ秀吉。

極めて豊かな想像力と好奇心に満ち、知りたいという強い願望を持ち、何か絶望的なことがあってもすぐに新しい案を次から次へと浮かべ、新しい状況を創り出すための実践に移す知恵を働かせる秀吉。

 物事を動かす際に調略を用い、人の感情を上手に動かし状況を変えていく。人々への共感を強く持ち、事情を鑑み、本来の人間性に信を置く秀吉。

その秀吉を司馬氏は、こう評しています。

「『赤心ヲ押シテ他人ノ腹中ニ置ク』といった猿の独特な人間接触法は後年ほとんど芸術化し、神技にちかくなり、これをもって六十余州の英雄の心を攪って天化を平定した」と。

信長と秀吉の中には、通じ合うものがたくさんあったようです。人間の尊厳そのものを重んじていたことを思わせるエピソードもあります。信長のいたずらで、顔に小便をかけられた時のことです。

秀吉は、「男のつらに尿(ゆばり)をかけるなど、なんということをなされまする。殿様なりとてお謝りくださらねば一歩ものきませぬぞ」と信長の行動を批判し謝罪を求めました。秀吉の人間としての尊厳が、この行為を許さなかったのでしょう。首が飛ぶ事は覚悟だったでしょう。でも、ここまで尊厳を損なわれたら、死んだも同然と思ったのかもしれません。

なんと信長は、「汝ガ心ヲ見ントテ、シタル事也」といってあやまったとのこと。

信長が、「猿」と呼ばれるこの人物の本質を見抜いた瞬間だったのでしょう。

尊厳は、その人がその人たるための絶対のものです。その人の魂が宿るところです。

身分に関係なく、信長が秀吉を信頼したのは、表面に出る行動だけでなく、人間としての根底の部分での尊厳を持った人間であれば、いざという時に、目先の利益で揺らぐのではなく、人間として崇高な目的のために命を懸けることができる人間、信頼に足る人間、家来に足る人間として見ていたのかもしれません。

信長の秀吉に対する信頼は、生涯揺らぐことがなかったということですが、その信頼は、人間の尊厳に根ざしたものだったのではないかという印象を持ちました。

長くなってしまいましたので、三人目の家康は、次回にまわします。

 

 

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