道の選択
投稿日:2011年3月2日
嬉しい知らせが届きました。
メディカルゲノム専攻ということですので、ゲノムを通して遺伝子や病気や薬などの研究をするところでしょうか。新しい研究領域であることは確かです。
そうした研究をしている東京大学大学院新領域創成科学研究科にマドカさんが入学することになったという知らせです。おめでとう!!
マドカさんは、3年留学した後、シドニー工科大学に進学。Bio-chemistry(生化学)を学びました。成績優秀者に与えられるHonoursという賞を獲得し、通常3年で終了するコースを、さらに専門性を持つ4年目の上級に進むことを推薦許可されました。
在籍中、Westmead Children’s Hospitalというところで、実習を体験しました。この病院は、その施設、入院患者や家族のウエルフェア、研究レベルの高さで世界に名を馳せているところです。日本からも医療、看護関係の方々が多く見学訪問しています。
マドカさんのその時の研究は、イースト菌に関するものでした。その実習研究にも高い評価が与えられました。
留学中、彼女が心を寄せていたホストマムが病に倒れ、逝去されました。それは、彼女の根幹を揺さぶるできごとであり、深い悲しみと絶望が彼女を襲いました。でも、そこから立ち上がり、研究に従事するための1歩を踏み出した彼女に、大きな声援を送ります。
ゲノムの研究は、ホストマムに起ったようなことを予防できるかもしれない分野であり、マドカさんのそこでの研究に特別な意味を持たせることになるのかもしれません。日本のキュリー夫人が将来誕生するかもしれませんネ。
マドカさんがICETに留学している時、CAPDでどんなことを勉強しているのかを知った日本のお母様が、教材として使えるのではないか、と日本のテレビで放映する特別番組を録画して、新聞の記事などと一緒にたくさん送ってくださいました。最終的には、書棚1面全部を埋める量となりました。
その資料は、教材として、今でも役に立っています。その後に続いたたくさんの生徒たちが、多くの知識をそこから得ることができ、非常に興味深い観点から議論する機会を与えられています。
どんなに感謝してもしきれないほどの恩恵をいただきました。今回、御礼を申しあげる良い機会が訪れました。本当に貴重な資料をありがとうございました。
学部と科がわからないのですが、アツコさんも、今年から東大の大学院で勉学に励むことになっています。
アツコさんは、留学を1年で終了し、その後、在籍していた学芸館高等学校から早稲田大学に進学しました。そして、今年、大学を卒業し、さらに大学院で研究を続けるということです。
いろいろな機会に、ICET卒業後の生徒たちの進路や生き方をご紹介していますが、進む道は、本当に様々です。どの道が良い、悪いは、まったくありません。どれが正しい、間違いもありません。
いろいろあり、どの道を選んでも、それが自分が望むものであれば、それがベストとなります。
私自身の体験をご紹介しましょう。私は、染谷が丘高等学校という長野県の上田市にある女子高で教育を受けました。家からは遠いので、15歳で下宿生活を始めました。男子がいないのはちょっと寂しかった(笑)ですが、でも、校風は、それだけに斬新でオープンで自由闊達な雰囲気のものでした。
私は、たまたま軽井沢に避暑に見えていたイエズス会の神父様たちと交流を持つ機会があり、「名古屋にある南山という大学はいいところだよ、おいで」と誘いを受けました。長野からの進学は、東京が当たり前の時です。南山? それってお坊さんの学校? そこに神父様がおられる? というくらいの知識しかありませんでした。
結局、私は上田市から初の学生として南山大学に進みました。長野県全体でも、まだ、数名いたかどうかの時代ですが、スペインやドイツから見えていた神父様たちから受けた印象は強烈なもので、もう絶対そこに行く、そこしかない、くらいに感じていました。
小規模な大学でしたが、教授は、全世界から集まっていて、どの授業もワクワクするようなものでした。勉強が楽しいから、熱意を持って勉強に臨むことができました。好きな世界史も澤田教授に出逢って、さらに関心を持つようになりました。集まっていた仲間たちもとても魅力的でした。課外活動も各種いろいろなものがあり、本当に充実したものでした。
1年目の夏にあったヨーロッパへの旅行は、ソ連を横切って、東欧から西欧にと移動していくもので、1ヶ月、修道院などに寝泊りした後、数ヶ月マドリッドでホームステイをしました。今でこそ、外国研修は、どこの大学でもまったく当たり前のものとなっていますが、40数年前には、画期的な研修でした。内容そのものは、今でも、まだ斬新なものです。
強烈な印象を残したその旅が、その後の私を創る大きな要因になったように思います。
他の大学に行っても、いろいろな体験はできたかもしれません。でも、南山大学での体験は、どのひとつをとっても後の私を創るためには欠く事のできなかった貴重なものです。そこがいいと思って自分で選んだからこそ、何もかも「自分のもの」として受け入れ、飛び込むことができたのだろうと思います。
私の父母は、一切拘束することも期待をかけることもありませんでした。不祥の娘なので期待はかけられないと思っていたのかもしれませんが(笑)
「あなたの人生なのだから、あなたが選択したらいいでしょう。あなたがしたいことは応援します。その代わり、自分の選ぶ人生なのだから、その責任は持ちなさい。」と言い渡されました。今思えば、自分を生きよ!泣き言は言いなさるな。幸せになるかどうかもあなたの自身の責任ですよ、ということだったのでしょう。
そのお陰で、私は、自分の人生を歩んできました。成功、失敗に関わらず、自分が歩んできた道は、自分のものであり、それを可能にしてくれた両親の姿勢を、私は、折りあるごとに感謝しています。
だからといって、将来の道を選択する時期にかかってきている生徒たちの親御さんに、子供に自由な選択を任せよ、と言っているのではありません。人それぞれ、みな違います。私には、たまたまその方法が合った、ということだけです。家庭事情も人生哲学もみなそれぞれに違います。子供の将来にかける期待も違います。それぞれのお家で決めていただければいいことです。
しかしながら、自分の選択ができるということが如何に人生に熱意を与えるものであるかは、このプログラムを経過していった20年の間の生徒たちのその後を見ていますと、常に、その大切さを実感させられることも事実です。
1年、3年の留学をしてきた子供たちは、自分が何を求めているのかを遠い未来に視点をおいて真剣に問うています。その真剣さをご理解いただき、子供たちがどうしてそう考えているかを話し合いの出発点とされることはとても大事なことと考えます。親御さんの姿勢は、海を隔てた子供たちの幸せにそのまま反映されます。
“道の選択” へのコメント(1件)
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2011年3月5日
お久しぶりです!
このブログ記事について兄から知らせを頂きました。
とても素晴らしい知らせですね!
まどかさんの3年目の留学と私の一年留学とが丁度重なっていたのですが、学校でひときわ目立つyear12のユニフォーム姿で歩く彼女は、当時の私にはとても励みというか、光のような存在でした。本当は昨年教育実習で母校に戻った際に彼女に一目会えればと思いつつ、叶うことなく終わってしまいましたが、まさかこちらで再び同じキャンパスを歩く日が来ることになるとは思いにもよりませんでした!笑 研究生活が始まった暁には必ず会いに行こうと思います。
私は幸運にも同大学の公共政策大学院に進学が決まりました。大学時代に国連ごっこに明け暮れていたのですが、一つ覚悟を決めて、今まで培ったものを再構築してみようと思い至りました。
私も正に、極めて積極的に自己決定をする、ということが、留学から得た一番の宝だと今思います。ただ年々、自己決定といえどもたくさんの影響や人のことを考えに組み入れるようになり、高校の時のものよりずっとハードルが上がってきたな、と思います(笑 時々そういう決断を投げやりにしてしまいたくなすのですが、やはり、次の数年、自分がどう笑うか、どう苦しむか、誰とするか、ということを納得して進むことが、自分の中の土馴らしになって、しっかり走れるようになるようです。
今年からは妹ととの同居も始まり、また勉強も一段と励みが必要となり、とかく慌しく日々が過ぎてゆく気がしますが、一つ一つ確実に足を踏んでいきたいと思います。
先生もお体を大切に、是非、多くの学生のためにご多忙な日々を堪能ください。