カウラの日本人墓地 そこに眠る人々
投稿日:2014年9月26日
カウラの旅のこと、今回が最終です。
何回にも渡りましたが、最期までおつきあいくださってありがとうございます。
カウラには、とてもとても大事な方々がいらっしゃいます。それは、国を護り、祖国を護るために、愛する家族を離れ、遠い南方の島々に送られ、そこで命を落とされた方々の御霊です。
偽名を使わざるを得なかった状況では、そこに眠っておられることは日本のご遺族が知る由もなく、遙か彼方の愛する人々を思いながら亡くなられた人々の魂です。
帰りたくても帰れない日本。どんなに逢いたくても逢えない家族。その方々の魂は、カウラに残されたままです。
日本庭園は、遠い祖国と家族を思い北を見上げたところに位置しています。
その兵隊さんたちのお墓参りをすることがカウラに毎年訪問する最も大きな目的です。
毎年オーストラリアに留学してくる日本の若者達。私たちは、オーストラリアの人々にとても大事に迎えられ、本当にすばらしい時間と体験と交流を持つ事ができます。それは、ひとえに、先人たちが積み上げてきたもののお陰です。
後世の人々が、どの立場からどのように判断しようとも、その瞬間に生きてきた人々は、常に、それ以上ない真剣さと、誠意と、情熱と、信念で、その時代を生き抜いてきています。
その恩恵に預る私たちは、そのことに深い感謝を捧げると同時に、未来に恩恵がもたらされるような生き方を今していく義務と責任があります。カウラへの訪問は、そのためです。この墓地も、カウラの人々によっていつもきれいに維持されています。その方々の誠意への感謝でもあります。
ある生徒が言いました。
「もう日本に戻られても大丈夫ですよ、と兵隊さんたちの魂に伝えてもいいですか?」と。「もちろん。ぜひとも、そうお伝えして!」
また、別の生徒が言いました。
「魂は、名前に宿ると聞いたことがあります。兵隊さんたちは、日本名では、きっと故郷に戻ってみえるのでしょう。ここでの名前は、ここにも心を残すものがある、ということなのですよね、きっと。」
自分たちが学んできた兵隊さんたちの墓碑を探しながら、70年前のあの日に旅をし、お花を供しながら、今ある幸せな毎日に感謝を捧げました。
先日、ダーリングハーバーで海上自衛隊と豪海軍合同の演奏を聞かせていただき、本当に思いがけない出会いとなったのですが、その後、このようなメールをいただきました。
留学してくる生徒たち全員に読んで欲しい内容のものです。
「早速のメールありがとうございます。
こちらこそわざわざお寒い中、長い時間見ていただき本当にありがとうございました。
日本と親御さんの元を離れ頑張っている生徒の皆さんの姿を拝見し、逆に私のほうこそ身の引き締まる思いがいたしました。
海上自衛隊は訓練を重ね自己を鍛えること及び、各国海軍との相互理解を深めることによって戦争を抑止することが最大の任務です。
「武力」の「武」という字は矛(ほこ)を止めると書きます。従いまして相手に刀を抜かせない力こそが「武力」であります。
剣道にせよ自衛隊にせよ己を鍛え、人格を高めることによって誰からも尊敬されることによって、周りの人たちと「和」することが目的です。
皆様も語学留学を通じて現地の方々と交流を深めることは、実は国防の上で極めて重要な要素を含んでいるのではないかと私は思います。
これから無限の可能性を秘めて将来に大きく進んでゆかれる皆様の、今後の人生の無事な航海をお祈り申し上げます。」
海上自衛隊 練習艦隊司令部
2等海尉 菅野 徹
以上、菅野様からいただいたものですが、 直接のやりとりではなく、ご家族を介してのものです。仲介してくださった奥様からも、大変貴重なことを教えていただきました。以下、ところどころの抜粋です。
「陽明学者の安岡正篤先生の本で出会った言葉に、「縁尋奇妙」(えんじんきみょう)という言葉がありました。
縁が縁を尋ねてその発展の仕方は不思議なものだという意味ですが、よい縁は次から次へとよい縁を結んでくれる。だから人の縁を大切にしなければいけない、と説いておられます。
日本の哲学者、教育者でもある、森慎三先生の言う「出逢い」の哲理に、
「人間は一生のうちに逢うべき人には必ず逢える。しかも一瞬早すぎず、一瞬遅すぎないときに-」
一見、偶然と見られる事柄も、すべて必然性の作用によるということです。
(論語から)子曰く、
「学んで時に之を習う、亦悦ばしからずや。
朋有り、遠方より来る、亦楽しからずや。
人知らずしていきどおらず、亦君子ならずや。」
孔子先生がおっしゃった。「学習したら、そのことについて、いつでも時間さえあれば復習する。
それはなんと嬉しいことではないか。同じ志を持つ友がいて、遠方からやってきてくれる。なんと
それは楽しいことではないか。誰も自分の実力を理解してくれなくても、不平不満に思わない。
それこそ立派な君子ではないか」 現代日本語訳 安岡定子 先生 著 から
以上、偶然と見えることに事に深い意味と教えがあるということを綴ってくださった奥様からのメールです。
その意味と教えをしっかりと受け止めて勉学に励み、交流に誠意を込めることが、私たちの成長を促し、人格を磨くことにつながり、「和」を保つことに役立つことになりましょう。
この後、「平和の鐘」の前でジョン レノンの世界の平和を願う「Imagine」をみんなで読みました。カウラの平和の鐘は、NYの国連にある鐘のレプリカで、南半球に唯一のものです。
カウラの旅の最期は、満点の夜空の星です。天の川が肉眼でくっきりと見える夜空。星が空からこぼれてきそうなほどにきれいです。流れ星もたくさん見えました。
天体望遠鏡で、「土星が見えた!」と感動の涙を流す生徒もいました。
70年前、兵隊さんたちも、毎夜、この星空を見上げ、祖国に、家族に想いを馳せていらしたことでしょう。