第二言語の学習3
投稿日:2014年10月5日
さあ、留学に出てきました。
ひとつの体制を去り、別の体制に身を移したということです。
では、一体、そこで、どれだけのものを収穫するのでしょうか。。。
生徒個人の、
目的次第です。
目標次第です。
動機次第です。
やる気次第です。
勇気次第です。
努力次第です。
そして、
EQ (願望、学習への気持ちの移入、自律、熱意の継続、自信 etc.)次第です。
以上の要因によって、留学の成果はまちまちに、そして、大きく異なってきます。
ところで、この中に、「能力次第」ということが含まれていないことに気付かれましたか?
どこに能力を発揮するかはみな違いますが、子どもたちは、みなすばらしい能力を秘めています。留学に来て、それまでとは全く違う刺激を受けて、本人が驚くだけでなく、日本のご家族もびっくりなさるような開花がたくさんあります。
それまでは、ある程度決まった刺激だけを受け、決まった学習方法の中で、設定されたレベルに到達することを求められているので、あまり使ったことのない部分が留学に来て突然に刺激されるために、それまで知らなかった自分の部分が飛び出してくるのです。
どんな刺激を受け、それに対してどう応え、何にどれだけ自分のエネルギーと努力を注入するかで、留学中の生活も、学習も、そして、最終的に得るものも違ってきます。
入り口での英語力が高ければ、教科の理解や日常生活の中での言葉の理解度が高いとは言えますが、学校の英語の成績が良ければ留学という極めて特異な体験から得られる収穫も多いかというと、そこでは比例式は必ずしもなりたちません。
だから、最初に、知的能力を問うことも、それまでの英語力の試験の結果を重視するなんてことも、あまり意味はないのです。ICETにペーパー試験が無いのはそのためです。
でも、確実に言えることがあります。留学前に自分の人生にいろいろ一杯投入してきた生徒は、留学は当初の想像を遥かに超える収穫をもたらします。学習だけでのことではありません。社会生活のいろいろな面でです。なぜならば、そういう生徒は、自分の人生を活かす方法を知っているからです。その中には、効果的な学習方法や高い語学力(英語と限らず日本語も)を既に開発しているということも含まれるでしょう。
生徒が留学に求めるものは、留学中の日常生活に必ず出てきます。
最初の学期が終わった頃に、「もうしたいと思っていたことを全部しちゃったから、日本に帰ろうかな。。。」と言った生徒がいました。もう、ずっと前のことです。その生徒の中には、言語学習のことなどまったく存在していなかったようなのです。目的の再設定までに少し時間がかかりましたが、きちんと定まるとそれからの努力は、以前とは比較にならないものとなりました。
「親が行けって言ったから来たけど、思ったほどらくじゃない。子どもに留学させるんじゃなくて、自分がしてみればいいのに。」と言った生徒もいます。
日本から出たい一心で来た生徒もいます。決して少なくありません。留学が自分の希望でなかったのであれば、苦痛であっても仕方がないことです。でも、最後に飛行機に乗る選択をしたのは自分であることに気付くと、そこから態度は変わっていきます。
留学半ばに、「今やっていることは、大学受験の勉強ですか?」 「いいえ。あなたの未来の土台を築く勉強です。」「それなら、受験勉強はいつから始まるのですか?」と尋ねた生徒もいました。
いずれも、どうやら、何か勘違いしてこの大冒険に出てきたように思えるような場面でした(笑)。
こちらに着いてから何の目標も見いだせないとなったら、1年、どうやって自分を奮起させるのか。。。大学に入ることのみが目的で、入った瞬間に、勉強への熱意を失ってしまうケースと似たようなものです。
目的も、目標も、動機も、自分が未来に向かう大きなビジョンとそれを駆り立てる気持ちです。夢があり、志があり、勉強したい気持ちがあれば、やる気は自然に出てきます。そして、それを未来に向けて牽引していくのが、個々のEQ (Emotional Intelligence )です。
それを応援するのが周りにいる友達や先生やホストファミリーです。
それで、生徒の側の準備は整いました。
では、生徒を受け入れる新しい地での体制はどうでしょうか?
留学で、何をどのように学んでいくのかは、体系だった教育プログラムがあるか無いかが、大きな結果の違いをもたらします。また、現地の学校の中で教科を学びながら英語力も付けていくというのであれば、それだけの英語力を最初から備えていればすばらしいことですが、備えていない場合には、得るものは偶然的で限られたものになります。
オーストラリアは、移民の国です。2010年の数字には、4人に一人が外国生まれです。Non English Speaking Backgrounds の人々が言葉のハンディで不利にならず、学校でしっかりとした学習ができ、職場で仕事ができるように英語(ESL – English as a Second Language) を教えるというのは、国家の急務としているところです。
そのために、たくさんの教材が開発され、多くの優れた教師たちを養成する専門的な訓練とコースが設けられています。英語を母語としてない人々が英語を教わる学校は、通常、それは独立したものであり、最初そこに通い、ある程度の英語力を付いたら、通常の学校なり大学に送られます。
NSW州は、結構厳しく、10年生に編入されるためには、IELTSでは、5.0が求められます。必ずしも、それが励行されているわけではありませんが、一応、それが基準となっています。
換算表がありましたので、どこまで信憑性があるかはわかりませんが、参考のために掲載します。
http://www.globaledu.com.vn/Upload/document/%5BGlobalEdu%5D%20-%20Converted%20Scores.pdf
ICETの場合には、このESLの教育が年間を通してあるので、留学当日から現地の学校への編入が許されています。違う言い方をすると、現地の高校という学校環境の中に、専門的にESLを年間を通して教育する部門がある、ということです。
これならば、IELTSで言えば、2.0 のレベルであっても、3.5のレベルであっても、 5.0のレベルであっても、どこか別のところに行かなくても、現地の高校の中で安心して学習ができると同時に、それぞれのレベルに合わせた教育を受けることができます。
なぜ、こういう方法が取られたかは、単独あるいはペアで現地の学校に留学した生徒たちの体験からの過去の貴重な教訓があったからです。同時に、高校生という極めて感性の鋭い年齢において、誰と出会うかわからない環境ではなく、異国にあって、しっかりと護られた環境にあること、そして、高校生としての規律ある環境にあることが安全性を確保する上で最も大事なことという考えがあったからです。
また、長くなってしまいました。続きは、また、明日に。