「奇跡の学校」を拝読して4

投稿日:2014年10月19日

少し間があいてしまいましたが、「『奇跡の学校』」を拝読して3」からの続きです。

これでこのシリーズは、最後とします。おつきあいありがとうございました。

1年目、2年目と過ぎて行く中で浮上してきた大きな課題。

留学してきた若者たちが、どうしたら最大限の成果を手に入れることができるか、ということでした。

16歳は、まだ発達途上です。これから自立し自分を確立していく大事な時期です。だからこそ、自力でやり抜くことで本当にすごい力が付くのだ、という見方にその通りだ、と思うところがたくさんあります。

しかしながら、それは、その16歳の若者が、どれだけ自立していて、どれだけの社会性を持っていて、どれだけの向上心や意欲を持っていて、どれだけ積極的に動くかにかかっています。

自立するために自分のできることをどんどんと広げていこうと思うような16歳は、時に、所属する学校の「権威」とぶつかっても、どんどんと力を付けていきます。冒険心やいたずら心のあるような若者たちは、なんとかしようともがき、探検し、試してみます。そこから、何か少しずつ生まれていきます。自分で学習する習慣ができている若者は、言語が変わっても学習姿勢は変わらないので、着実に力を積み上げます。

でも、その一方で、一人では、新しい環境で手も足も出ないという若者たちもいます。特にそれまでの人生体験が限られている場合には、新しい刺激にどう反応していいのかわからなくなってしまい、自分の狭い殻から抜け出せなくなります。指示を待つだけの生活をしてきている場合には、そういう指示が一切無くなってしまう環境においては、ただ、時間が過ぎていくのを待つだけとなります。

わからないものはわからないまま、何がわからないのかもわからないまま、できることが限られるので時間をどう使っていいのかわからない、退屈、極度のホームシック、感情の起伏が不安定、隠れてあるいはあえて帰国になるために悪いことをする、勉強は別世界のこと、現地での友達もできない、英語もミニマムの習得しかない。。。

留学生にふさわしい教育はどうしたら可能になるのか、1年という長い日々を健全に過ごせるためにはどうサポートしたらいいのか、自立が急速に起こる中、生徒自身がその変化を自分のものとして成長していくためにはどんな知識が要るのか。。。。

その答えとして出てきたのが、留学生のための学校の設立でした。

現地のハイスクール内にあり、現地の教育も受けながら、留学生としての教育も受け、安全が確保される大皿があり、文化の違いを深い部分で理解しながら、その中で起こる自分の変化を健全な成長として受け止められる知識や物の見方を話し合える場。

電車が通るレールを敷くことで、1年を迷って徘徊することなく、まっすぐに目標地点まで行ける。自分という電車には、毎日こなさなければならない課題が放り込まれ、電車の両側には、ホストや友達や先生たちや地域の人々や、その人たちと一緒にできる活動などが詰まれている。そのどちらの電車にも、自由に行き来ができる。そこでは、まったく自由に自分の世界を作っていくことができる。

電車をどんな形にするか、どんな色にするか、どんな中身にするか、それは、みんな、個々の自由。

そして、目標地点についた時、自分という電車には、1年間の体験や知識が積み込まれている。(そして、実際にその結果は、発車時点では想像もできなかった自分を見いだすことになることがその後の結果に明白です)

そんな構想が具体化されるまでには、それからさらに数年かかりました。Red Tapeと英語で呼ばれる目の前に立ちはだかる法的、慣習的な壁です。

誰もそんなことはやったことがない。だから、そんな前例/判例がない。

前例/判例が無いから判断できない。

政府の役所、教育省、学校などすべてをつなぐことができるギャビンさんがいらしたことで、そういう壁に徐々に穴が開けられていきました。

同時に、Ms. Moxhamという強烈なキャラクターの女性が、たまたまDHSの校長先生としてやってこられました。いろいろな巡りが、ICETの設立に追い風となりました。

遂に、NSW州の教育大臣から、やってもよろしい、という許可が出ました。ただし、

地域一帯の全住民に許可を得ること。

全校の教職員と保護者に許可を得ること。

という条件付きでした。その条件は、簡単にクリアすることができ、学校全体の応援を得て、留学生のための学校InterCultural Education Today (ICET)の設立が可能となりました。1995年のことです。

公立学校の中に私立学校があり、そのふたつが提携して留学生のための教育プログラムを提供しているところは、その後20年経った今でも、オーストラリアの他のどこにもありません。それだけ特異なことだったわけです。

その後、今は政府の教育行政部門で活躍してみえるMr. Anderson、続いて、NSW州全体のハイスクール協会の会長Mr. Bonnerとか、こちらの教育界で大きな力を持った方々がDHSに校長先生として赴任されたことも、幸運なことでした。このプログラムを “Magic Program” と表現され、真剣に応援してくださったことが、このプログラムを定着させたのだと思います。

でも、その応援は、留学してきた生徒たちが、一生懸命がんばった故に得られた応援です。

ICETが設立されて間もない頃、大学を卒業されたばかりの爽やかなすてきな青年が日本から やってみえました。こちらの大学で英語を学びながら、「ICETのお手伝いをしましょう」という頼もしい助っ人です。

2年間滞在されましたが、その間にも生徒たちが繰り広げる留学生活模様は本当に様々で、きっと、ご自分の留学と重なっての高校生たちの様子は、強烈な印象として脳裏に刻まれたことでしょう。

当時から、常に活動的に忙しく動いてみえ、発想が大きく豊かで、周りがその大きさを理解できた頃には、ご本人は、もう千里も先に飛んでいるといった感じのことがよくありました。

学生ではなく教職員として外国の学校の中に入られたことで学ばれたことも多かったでしょうし、「責任教育」や「レベルシステム」など日本には無かったコンセプトやシステムを後に日本の教育の中に導入されました。

現在、学芸館高等学校と清秀中学校の校長先生となられている森健太郎氏です。

そんなふうにしてICETは、ラッキーなスタートを切りました。

20歳を迎えるまでになったのは、4回のこのシリーズに登場していただいたたくさんの方々、毎年の保護者の皆様、ホストファミリーの方々、プログラムに直接関係する先生がた、現地の学校の先生がたの大きな応援という支えがあってのことです。

そして、なによりも、その応援で成り立っている舞台の上で、世界に羽ばたきたい願望と夢、自分を試してみたいチャレンジ精神と野心、もっと広い世界を知りたい好奇心と冒険心、学びへの渇望、生きる事へのパッションを抱き、思い切り自分の人生にぶつかる若者たちの活躍です。

改めて、皆様のお力、お知恵を日々いただいていますことに心から感謝申し上げます。

 

 

 

 

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