文化は自分のIdentityの土台となるもの
投稿日:2014年10月26日
自分は誰なのか。自分を造っているものは何なのか。
どんなふうに生きたらいいのか。生きる使命は。。。
そんなことを問うのは、どんな時なのでしょうか。
どんな時に自分の本質と向き合うのでしょうか。。。
多分、忙しい普段の生活の中では、そのような機会はあまりないでしょうし、その必要もありません。
自分と向き合わざるを得ないときは、何か特別なことが起こった時です。それも、喜びや楽しさではなく、物事が上手にまわらなくなったり、逆境に追い込まれた時です。
困難や苦渋や苦悩や痛みの中で、自分の弱さや足りなさを突きつけられた時に、そこに映る自分の姿を見つめた時に、起こってくる疑問です。
留学では、自分を見つめざるを得ない瞬間や体験が必然のものとして起こります。
知らない地理。初めて出会う人々との共同生活。言われていることの全部がわかるわけではない言語。言いたいこともままならない。パンもチョコレートも、すべての物の味がそれまでのものとは違う。ご飯でさえも、お米の形も味もつやも舌触りも、みな違う。
いろいろなことのやり方も考え方も違う。学習の仕方も違えば、要求されることも違う。
今まで知っていたこと、やっていたことが通用しない。
ここで、ハタッと自分の能力、自分の考え方、自分の価値観、学習してきたこと、未来への道などなどいろいろなことを見つめざるを得なくなります。
町に出れば、二言目には、「日本人? 中国人?」と聞かれる。「中国人?」と聞かれると、「違うよ、日本人だよ自分は。間違えないで欲しい」といったような、日本を出るまで感じたことのない奇妙な感覚を体験するようになります。
それをきっかけとして、「日本人」「日本語を話す」「日本の文化の中で育ってきた」という要素が、自分のアイデンティティの中に大きく存在することに気付き、明確に意識するようになります。これが、日本の社会や文化を外から眺め始める最初のきっかけです。そして、日本の文化を背中に背負うことになるのです。
たいていの若者は、日本という国、文化に改めて誇りを持ちます。その誇りが、海外にいる時の自分の背骨になります。
ホームシックになり、自分がそれまで両親にどれほど甘えていたかを理解し、深い感謝の念を抱くようになります。
日本の文化に対してもホームシックになります。特に食文化。今でこそ、大きな都市には日本食のレストランがたくさんありますが、私がオーストラリアに初めて来た時には、本当に数えるほどで、しかも簡単に足を運べるようなところではないし、料理する材料などもほとんど手に入りません。でも、大人ですからなんとか工夫すれば、まがい物を作り出すことは可能です。
オーストラリアの家庭に入った高校生に、チョイスはありません。日本食を恋しいと思ったら、辛いだけです。
習慣もそうです。家の中を靴で歩くことを受け止めるには、自分の感覚を変えなければなりません。
食器は、水不足なので洗剤を流さないまま乾かす家庭が多く、子どもたちは、その食器にまた食べ物を盛ることには大きな抵抗を覚えます。お風呂にゆったりと浸かることができず、カラスの行水のようなシャワーで済ませます。
こうした、単なる習慣だけを取っても、日本のことを思っていたのでは、そのたびに、自分の気持ちがザワザワします。これが価値観のぶつかりあいとなったら、自分は日本人だ、これが日本の文化だと通したところで、結局は、郷に入っては郷に従え以外の法則はないのです。そうでなければ、ぶつかるか、ここがいやなら帰れ、という極端な図になってしまいます。
何よりも、一旦、「日本」「日本人」「日本文化」の壁を下に下ろさないと、新しい価値観や見方や発想は入ってきません。「日本だったら。。。」という考え方にいつまでも執着していたら、自分をオープンにすることができず、得るものは限定されてしまいます。
「日本を捨てなければ留学できない」という表現は、そうした異文化に置ける感情の葛藤があって初めて出てくる言葉です。
でも、日本を捨てるということは、日本の文化の精神性や礼儀を捨てるということではまったくありません。むしろ、この言葉は、自分の文化を意識しないことはそれだけ難しいという意味であり、この感覚は、文化の違う人々と寝食を共にし、ある程度の期間を一緒に過ごした人間でなければ体感できないことです。
それだけ、「異文化理解」というものは、実際のところ、情報だけ得て理解できるような表層的なものではないということです。
この端的な例が、古今東西、同じような家柄で同じような価値観を持つのでなければ、お嫁さんが嫁ぎ先の文化になかなか慣れることができず、お姑さんもお嫁さんが持ってきた文化をなかなか受け入れられられないために起こる様々な葛藤です。それだけ、個々の文化は、その人の真髄を成すものなのです。同じ文化圏においてそうならば、違う文化圏では一体どういうことが起こるのか、それは推して知るべしというところでしょう。
本当に文化が体の中に、心の中に浸透していたら、それは、簡単に捨てられるものではありません。なぜなら、幼い頃から家族によって積み重ねられている「文化」は、それがその人間の軸となる価値観や礼儀を形成しているもので、15、16歳ともなれば、もう、完全に浸透し切っているものです。
もともと日本で礼儀正しい子どもは、世界のどこに出ても礼儀正しいのです。付け焼き刃で付けた礼儀は、その環境から離れたらその礼儀も失せます。
オーストラリアの学校は、先生を下の名前で呼ぶようなことは決してありません。必ず、Mr.なり Mrs.、あるいは Ms.が頭に付きます。
どこの社会も、礼儀正しい人々は、礼儀を守ります。そして、礼儀正しい人は、どの文化から来た人であっても尊重されます。
ひとつの文化から異種の文化に置かれた瞬間は、手も足も脳細胞も味覚も金縛りにあった状態となります。それを数日で抜け出せるか、数ヶ月かかるか、それぞれ個々に違います。でも、その時に、しっかりと自分を見つめる勇気を持ち、自分を理解することができれば、そこから、また新たな発展が始まります。
その苦悩が大きければ大きいほど、それを乗り越えた自分の成長もそれだけ大きなものとなります。そして、自分の周りに新しく加えたこの付加価値や習慣は、日本に戻ったからと簡単に切り替えられるようなものでもありません。今度は、付けた付加価値の壁を落とす作業が帰国の瞬間から始まるのです。
留学は、実際には、大事業であり、日本に帰国してから第二の留学が始まります。
こうしたことを生徒たちも、また、生徒たちを支援する大人もしっかりと理解しておくことが留学の実りを本当に自分のためとするには極めて大事なことです。