2014年度のまとめ
投稿日:2014年12月15日
そろそろ、今年度の業務がすべて終了します。
このブログも数週間閉じますので、その前に、今年度の留学生たちの感想を何点かお届けしましょう。私が何を申し上げるよりも、今年を何よりも物語るのは生徒たち自身の言葉です。
この1年間の成長に関して綴られた感想をまとめたものは、生徒たちに郵送されます。日本の学校が休暇に入りますので、今からでは、手元に届くのは新年度になってからになりそうですね。
以下は、「異文化理解とMulticulturalism」という題で書かれたものです。
「私はこの留学を通して異文化理解や文化の多様性によく触れる機会がありました。私はそれらのことを次のように受け取りました。
私は異文化理解と言う言葉から想像できる事が二つあります。一つ目は、自国の文化を伝えることだと思います。なぜなら、以前私は日本内にいて異文化理解をするということはとても難しい事で、外国人に文化を伝えようと思ってもあまり外国人が周りにいないので伝えにくいなと思っていました。それ故に、日本の文化は誰も理解してくれていないとも思っていました。しかし、オーストラリアに来て初めての多文化の国だったので色々な事を知ることが出来ました。例えば、オーストラリアでは異文化理解ということでハーモニーデーと言う自国の文化を共有する日が特別に設けられており、その日には自国の文化の衣装や食べ物などを出し自国の文化を主張し共有します。他にもオーストラリアは色々と異文化理解につながる行事があります。
二つ目は、言語です。なぜなら、私達がこの一年間最も取り組んだことだからです。相手国の言語を身につけるということは相手国のことをよく知るきっかけになり異文化理解とも繋がると私は思います。例えば、あるフランス人が英語国の人に自分の文化を伝えようとしても英語人の人の言語を知らないとフランスの文化をよく知ることが出来ません。私がオーストラリアに一年留学したことによって、自国の文化がしっかりしたものなのだと思いました。留学前までは、日本の文化は沢山あるのだと言う事を知っていたし、高校で茶道や着付けの授業などをしていたので自分は色んな日本の文化を知っている方だと思っていましたが、留学に来てみると日本の文化は自分が知っていない文化の方が沢山海外に出てきているし、好まれているのだなと思いました。例えば、漫画やアニメの話でオーストラリアの人から「日本人だ。」ということで向こうから話かけてもらっている友達の姿を何回か見た事があったので、そう感じました。
次に、私が留学をして日本の見方が変わりました。日本に居た頃は、自国の学校から沢山の人が自分の夢の為に、世界中に進出していっているものだと思っていました。しかし、今の日本の教育で最近の若者では、外国に出たくないという意思を持っている人が多く広い視野すら持てなくなってきている現状があります。さらに、私は留学に来て、外から日本を見ると日本はとてもストイックな国だと思います。なぜなら、オーストラリアの高校は、自分が勉強以外でもやりたい事を先生が全面的に協力してくださって、生徒一人ひとりの個性を伸ばしてくれる日本とは間反対な教育制度だからです。例えば、日本の高校は学期によるテストなどで目に見える数字や紙の上でしかわからないことでしか人を判断してくれません。なので、日本の教育では、生徒の将来の夢や、やりたいことよりも、勉強という枠にとらわれすぎ真っ直ぐと自分の個性にあった、自分で決めた夢に進むのが難しくなると思うからです。
最後に、私はMulticulturalismが世界で一番浸透している国へ留学に来てから、異文化理解がどういったことが理解することが出来たと思います。今では異文化理解と言う事は、相手の言語を学ぶことではなく、言語を道具にし自国の文化を共有したり、逆に相手の文化を受け入れることだと言う事が学べました。」J.T.
「文化の多様性と異文化理解」というタイトルで別の作品です。
「「異文化理解」という言葉を聞いたとき、それは何かと尋ねられたら、まだ高校1年生だった自分は何を答えただろうか。きっと、他の文化を理解すること、としか答えられなかっただろう。それに、あの時は他の文化を知ろうとさえもしていなかった。だが、今は違う。もしそう尋ねられたら、私は自国の文化を理解し他の文化と共存していくことだと答えるだろう。実際に他の文化を体験して、異文化を理解してみると違った答えや、考え方が出てくる。それについてこれから説明していきたい。
まず、異文化理解というものは、他の文化を理解するスタンスから始まる。しかしそれを理解するためには他の文化を理解するために自国の文化を理解する必要があることが実際に体験してみて分かった。文化を理解する為にはその国の人と話をする必要があると私は思う。他国の文化について尋ねた時必ずと言っていいほど聞き返される。オーストラリアに来た当初は日本のことを自分がどれだけ知らなかったのかが痛いほど分かった。なぜなら、聞き返された質問に答えられなかったからである。これは英語力の問題だけではないことは確かに分かった。何よりもまず、日本語で答えが浮かんでこなかったからである。自国の文化が分かっていないと、他国の人と情報をシェアすることができない。私は、自国のことを全く知らない自分がとても恥ずかしいと思った。こちらの国の人は、自国の事をそれなりに知っている。さらに、オーストラリアは最も文化が共存している、Multiculturalismが浸透している国であると私は思う。その国に住んでいる人々は、自国の文化を大切にしつつも、他の文化を尊重して共存している。私は、彼らの柔軟性をとても尊敬し、自分にも取り入れようと努力した。その柔軟性のおかげで、様々な人種の人々が同じ土地で生活出来ていると私は思っている。
私は留学した事で、日本という国に対する認識や理解がとても変わったように思う。今までは日本についての認識というと歴史が長く、自国の文化を独立させている国だと思っていた。確かにそうだが、日本の歴史についてもオーストラリアに渡って気付いたことが多くある。日本に居るだけでは知れなかったことも、私は今知ることが出来ている。例えば、カウラの脱走事件などである。この事件のことは日本の授業では習わなかったし、日本の人で知っている人は本当に少ないのであろう。実際、事件で亡くなった人のお墓に尋ねたが、とても居た堪れない気持ちになった。多くの人は偽名を使っていて、戦争が終わった後でも家族に会えていない。こんな悲しい事実があったことをその家族も知らないのかもしれない。でも私たちは彼らのおかげで今この地に立てているのかもしれない。さらに、海外から見た日本への認識というと固い感じがする。わたしがこれを思った理由は教育にある。なぜなら、私はオーストラリアの伸び伸びとした教育理念がとても気に入ったからである。生徒一人一人の個性を伸ばすようなその養育方針を日本は見習わなければならないと思う。
上記の理由など、日本人の私に多民族国家のオーストラリアが与えた影響はとても大きい。様々な文化や考え方を尊重するような考え方がmulticulturalism をこの国に浸透させた大きな理由であり、様々な国の手本となる理由だと私は思う。」 H.Y.
「Multiculturalismと異文化理解」という標題で。
「政治、経済、文化すべてにおいてグローバル化していくこの世界では異文化理解と文化の多様性は日々比例していく。まず初めに、異文化理解という言葉から異なる国籍を持った人々と共存していきながら彼らが互いの文化やバックグラウンドを尊敬し合う関係を築くことが想像できる。例えば、異文化理解は自分の文化とは違う文化を理解するスタンスから始まるけれど、他の文化を理解するためには自国の文化を理解する必要があることが分かってくる。自国の文化を理解してなければ、当然相手の文化も理解出来ない。
私がオーストラリアに来て一番聞かれたことはなぜ侍が有名なの?富士山は何メートル?といった簡単な質問であったけれど、私は答えられなかった。そのとき、日本にいたとき自分は日本人であることを意識しながら生活していなかったと留学を通して気づかされた。異文化理解には相手の文化を受け入れる前に自国の文化や歴史を学ぶことが必要であると分かった。 日本にいたときには、multiculturalismを体験することが出来なかった。なぜならば日本にはその制度が成り立っていないからだ。それに比べてオーストラリアでは町を歩くと異なった人種の人によく出会う。オーストラリアではたくさんの移民政策を行っているからだ。いいことだけではなく色々な問題やお互いの誤差も生まれてくる。彼らは異なった国で生まれ、育った環境も違うのならば今まで受けてきた教育も当然違ってくるそうするとお互い何が正しいのか、基準がわからなくなる、そして言葉の壁も生まれてくる。言葉はコミュニケーションをとる上で一番大切なことである、だからこそたくさんの人種の人が生活していくには整った教育が必要であることが分かる。そして異文化理解に必要な最も大切な事はステレオタイプを排除する事だと思う。皆必ずステレオタイプを持っている。例えば、日本人は中国人を汚い、うるさいと偏見する。また同じアジアとして間違われる事があるけれど、その時は嫌な気持ちになるといったネガティブなステレオタイプがある。だけど、実際に中国が汚いのかうるさいのか誰も分からない。ではこのステレオタイプはどこからくるのかと言うとこれらのステレオタイプは新聞やニュース、メディアからの情報であってこれらの情報が全て正しいとは限らない。また人間の価値判断やステレオタイプは小さい頃から生まれてくる。だからこそなるべく小さい頃に私たちの教育に挿入すべきだと思った。または、事前に相手のことについて準備学習して生活を通して文化に触れていくホームスティ的な方法もある。こういった方法でネガティブなステレオタイプを排除すべきだ。しかし悪い事ばかりではなくmulticulturalismから異なった文化を持った人と意見を交換でき、旅行なしでそれぞれの料理を楽しめることもできる。あたしたちが今、この年代に学び経験する事はこれからの私たちの生き方やグローバルな物の見方を育てる事に影響してくるだろう。 」N. H.